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L’Âme enchantée: Annette et Sylvie しんすけの読書日記

この本を思い出したのは、東京医大で女性に対する入試差別があったころだった。
婚姻においても男女の平等が護られなければならいことを宣言した現憲法の二十四条が公表されてから七十年以上も経っのに、その浸透はまだまだ浅いと実感させられていた。

そして本書においてアネットの自立への途が茨に満ちていたことを思い出さずにはいられなかった。

『82年生まれ、キム・ジヨン』の解説のなかでは、東京医大の話が取り上げられて日本人の反応が穏やか過ぎるとの指摘もあった。
そのとき浮かびあがった言葉は、穏やかではなく無関心だった。日本では女性を含めて、余計なことに関わりたくないという空気が強い。
 
その空気が、マイノリティ蔑視や夫婦別姓が浸透しない原因になっているのではないだろうか。そしてそれを指摘すると「空気が読めない!」と馬鹿にされてしまう。
日本人の知性劣化進んでいるのは、空気を読み過ぎたことにあるのに気づかないのだろう。
インターネットの発展で読書人口が減ったのもその因をなすのであろうが、読書人口が減ったのは世界的な傾向であり、日本のそれは特有の因習に満ちている様に考えさせられて仕方ない。

昨年の四月に下記を読んだ。
『その名を暴け #MeTooに火をつけたジャーナリストたちの闘い
こんな本が日本で発刊されることはないのでないか、と思ったのがその時の正直な感想だった。

#MeToo も、日本はかなり遅れている。同性愛者に対する眼にも狂人を視る眼に似たものがある。

行政では現在、少子化対策に議論が起こっているが、少数意見を無視する空気がある日本では、その解決策が見出される可能性はあまりも低い。

少子化という現象は、若い世代が家庭をもつことが難しくいなっているからだが、それを生み出したのには、マイノリティ蔑視が無関係とは思われない。

”L’Âme enchantée: Annette et Sylvie”の感想を書く予定が、読みだした動機を書くことに終始していた。それだけ本書は考えさせられる多くの内容を含んでいるものだと捉えても可能である。

本書の邦訳を最初に読んだのは高校生の頃だった。六十年ほど前のことになる。
インターネットなんて影すらもない時代だからだらろう、当時は文学全集が多く発刊されていた。
河出書房や新潮社、それに小学館や中央公論社も加わっていたはずだ。

その中で河出書房が発刊していた世界文学全集に、宮本正清の翻訳で本書を『魅せられたる魂』と題したものが収録されていた。
同じ著者の『ジャン・クリストフ』を感動を持って読み終わった後だったから、本書も多くの期待をかけていた。だが残念ながら、半分も読まないところで挫折してしまった。
内容そのものは興味深いのだが、翻訳の文章が当時の高校生には、あまりも解り辛かったからである。1940年代に宮本正清が翻訳したものをそのまま本にしたからに相違ない。1950年以降から日本人が書く文章は著しく変化していたのだ。だが当時の戦中派の青年たちには馴染みがあってそれなりには読まれたようだった。

1980年ころに岩波文庫が改訂版と称して本書を収録したが、それほど大きな改訂は感じられなかった。30代半ばだったこともあり、世間的な知識も増えていて読み終えることができたのだが…
しかしこのままでは、この名作が今後の若い人たちには読まれることは、ほとんど無いとも確信していた。
それを裏付けるかのように、今では岩波文庫も古書店でも手に入れるのも難しくなってしまっている。

この状況を打破するには、現代の感覚で本書を翻訳する以外にないのかもしれない。
そう思ったとき自然に、自身で翻訳する想いに至っていた。

2022年の秋の最中だった。

L’Âme enchantée: Annette et Sylvie

付記:
現在本書を翻訳したものを「アネットとシルヴィ」と題してnoteに連載掲載しています。いまでは、あと数回で終わるところまでに進みました。
その連載が終わったら、続いて下記を翻訳したものを掲載することを予定しています。

”L’Âme enchantée: L'Été”

その時点で、今回の感想の続き書いていきたいと考えています。


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