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儒教❗が分かる❗


自分が知っていること知っているとして、知らないことはまだ知らないと率直になることが、知るということだ。 
            『論語』孔子の言葉


今回は『儒教』について書いていきます❗


学生時代、歴史の授業で聞いたことはあるけど、なんなのかは分からない、、、、、

という人が多いのではないでしょうか❓️❓️

私自身、

「名前的に仏教の中にある一つの宗派かな?」

程度で考えていました。笑


ですがこの儒教インドで仏教が誕生したとほぼ同じ時期、あの大国中国で誕生していたのです❗

儒教とは簡単にいうと古代中国の哲学的、宗教的考え方で、孔子という人物の言葉を集めて作られた『論語』という文献をもとに世界へ広められていきました。

この論語、様々な形に変化しながら日本にも伝わり、あの「侍(サムライ)」が掲げていた『武士道』の考え方にも深く影響していると言われています❗

その他にも一万円札に載っていた渋沢栄一という人物は明治時代、この儒教の考えのもとに行動し、日本の近代化に大きく貢献しました。
『論語と算盤』という書籍も出しており有名です。

さぁ、前置きが長くなりましたが儒教についてまず歴史からたどり、見ていきましょう❗


それではいきます❗



儒教の歴史

孔子誕生



儒教の祖、孔子は紀元前6世紀頃、中国の「魯」という国で産まれました。

仏教のブッタのように産まれた瞬間から

『天上天下唯我独尊』

とか言ったりするような逸話はなく、一般的な家庭に産まれ、育ったと言われています。

孔子が産まれた時、中国は「春秋戦国時代」といわれる多数の国が存在し、領土を争いあった時代です。
漫画、キングダムの時代と言えばピンと来る方もいるのではないでしょうか?


その時代に「諸子百家」といわれる多くの思想家が誕生しました。

孔子もその内の1人です。

孔子の旅

思想家達は、学問を学ぶだけではなく直接政治にも参加しました。

ですが孔子の考えは、あまりにも理想的すぎる。ということからあまり受け入れてはもらえませんでした。

そこで孔子は弟子達と共に旅をしながら地方各地を遊説して歩くようになりました。


そうすると次第に孔子に教えを請う弟子が増えていき、3000人もを越える弟子を獲得していきます。

孔子の教えは人間関係や社会秩序の『礼儀』『倫理』を追求しており、
弟子達にはそれぞれの個性や性格に合わせ、自らの教えを伝えていきました。

この辺、以前紹介した仏教のブッタに似ていますね。

孔子の死 ~ 儒教誕生


孔子は紀元前5世紀後半、弟子達を残しこの世を去ります。

孔子は弟子達にそれぞれ合わせた形で自らの教えを伝えていた。
と、先述しましたが、このことが裏目にでて弟子達の間で解釈が微妙に異なり、その後広められていきました。

ですがこの時代、「諸子百家」といわれる様々な思想家が存在していたことから、弟子たちは

「このままでは孔子の教えが消滅してしまう。」

と考え、弟子たちは孔子の教えを世に残すため、バラバラに伝えられていた教えを一本化します。

こうして誕生したのが『論語』という儒教の中核となる孔子の言語録です。

儒教誕生~現代


『論語』ができ、孔子の教えが形としてできたことにより、孔子の教えは『儒教』として世に残り、弟子たちや、孟子荀子といった思想家によりさらに発展させられていきます。

その後、紀元前3世紀頃、戦国時代を統一した秦の始皇帝による「焚書・坑儒」(思想家やその書物をすべて焼き尽くす行為)が行われますが、何とか書物を隠し、残すことに成功し、後の時代「漢」では公式哲学となり、儒教者は官僚として活躍していきます。


その後も12世紀~13世紀にかけてさらに発展し、『朱子学』が生まれます。


儒教、朱子学



と、名前が違うので、違うものなのかと思いがちですが、
双方、『論語』という孔子の教えを読み取ってできたもので、本質は全く変わりません。


この2つはこの先を官僚の学問としても使われ、20世紀初頭、革命家などによって一時的に否定はされたものの、その後再評価され、現代に残る中国伝統文化の1つとなっています。


儒教と日本


ここからは儒教と日本の関係について書いていきます。
個人的にこの関係が一番おもしろいなと思っています。

まず、儒教は別の記事で紹介した仏教とともに5世紀ごろ、朝鮮半島から日本に伝わりました。
(まだ見てない方はこちらを見ればさらにイメージしやすいかも。。。?)↓↓↓


仏教は全面的に日本へ広まっていきましたが、それと同時に儒教の要素も導入され、中国と同じく徐々に官僚の学問としても学ばれるようになり、政治でも活躍します。


そして13世紀、戦国時代に儒教をさらに発展させた『朱子学』が日本に伝わります。
儒教(朱子学も儒教で統一しま)は倫理観哲学的な要素が強く、この時代の『武士』に好まれます。

あの徳川家康儒教を深く学んでおり、儒教の思想に基づき、政治や文化政策を進めました。


儒教は武士階級を中心に受け継がれていき、これをもとに日本の『武士道』の考え方が生まれます。


そうなのです。
日本の誇り『侍』の『武士道』は中国に誕生した孔子の教え『儒教』からきていたのです。



明治時代に今の日本の資本主義の礎をきずいた『渋沢栄一』
彼も『儒教』の思想をもとに日本のため尽力し、銀行、鉄道、製糸等、多くの企業を設立し、日本経済を発展させました。


まとめ


孔子は『礼儀』を大事にしていたといい、儒教の経典『論語』にも『礼儀』について多く記されています。

日本の武士道が儒教の思想からきていると先述しました。
私自身も誇りに思う、日本の大和魂や親切心、おもてなしの心、こういったものも儒教からの発展なのかもしれません。


私はこの儒教の教えは単なる文化的遺産。とは思わず、現代でもかなり大切なものだと考えます。


SNSが発達した今の時代、ここ数年で人間の脳には処理できないといわれているほど様々な情報が日常の中で絶えず入ってきます。

そういった処理できない情報がつねに入ってくることで、さまざまな情報に追われ、本来の人間の本質を見失っていってしまっているのかもしれません。

そういった情報に惑わされず、無数にある情報を正しくつかい、自らの信念をもって生きていく。
この大切さを説いているのが『儒教』なのです。

世間でよく聞く『常識』という言葉。
儒教ではこれを


智・情・意


この3つのバランスが大事だという教えがあります。

とは知恵をつけ、的確に見分ける能力。

とは人間ならではの礼や思いやり

とは考えを貫く強い意志を表します。


この最後の『情』が一番大事なのではないかと私は思います。

知識をつけ、さまざまなことにたいして良き選択ができても、知恵がつけたことにより、それが全て損得勘定で動くようでは人として立派とはいえないでしょう。

意思が固く、決めた事は曲げないというのも重要ですが、行き過ぎるとただの頑固になります。

これらを緩和剤としてうまく混ざり合わせほどいい『常識』を完成させるのが『情』なのではないかと思います。


ここでは『常識』という言葉を使いましたが、
私は

『常識』=『人間力』

として考えています。


自分を見つめ、人間力を磨く。

外側ばかりに気を取られず、内側をしっかり見つめ直すことが大事なのではないでしょうか。


儒教の考えをもとに資本主義社会を駆け抜けた渋沢栄一は、明治維新の後、こう考えたといいます。



これからは、いよいよわずかな利益をあげながら、社会で生きていかなければならない。そこでは志をいかに持つべきなのだろう


経済の発展を考えるとき、まず第一にというこれまた『人間力』を大事にし、
彼は儒教の思想を軸に、資本主義社会を発展させていくべきだとして行動し、日本経済を発展させました。
彼が利益の独占などに走らず、最後まで日本の発展を考え尽力できたのは『儒教』が軸にあったから。


儒教にはキリスト教や仏教のような奇跡的な物語がなく、いかにも人間味溢れたものだというところも儒教の魅力です。



私たち日本人の誇り『侍』の心。
様々な情報が入り乱れた今の時代だからこそ、
儒教を考えもう一度取り戻すべきなのかもしれません。





読んでいただきありがとうございます🙇‍♂️🙇‍♂️

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