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共感的映画論◌映画『ディア・ハンター』(2)

 この映画で描かれる「ニック」という人物は、自分が置かれた、当時急速に崩壊へ向かいつつあった南ベトナムの剥き出しになっていく現実の空気を、他にどうしようもないように、そのまま深く呼吸する。

 俳優のC・ウォーケンもまた、この人物をそうとしかありえないように鮮烈に演じている。
 なにかに踏みとどまりながら、心もとなげに、その危うい歩みを重ねていくような、C・ウォーケンの演技によって、この映画に描かれる<現実>(「ニック」と彼をとりまく)は、おそらく、より身近でリアルな息づかいで観る者の目の前に立ち現れてくるのである。

 そして、その演技の歩みの背後には、この映画の<作品>としての輪郭といったものが徐々に現れるように描かれていく。
 それは、あらかじめ描かれていたものではなく、その都度少しづつ新たにそれが生み成されていくように。その足元に深くひろがる「ニック」をとりまく<現実>というものの”底知れなさ”の実感とともに。

 こうした「ニック」という人物をとりまくものの底知れなさの実感(おそらく彼にとって身近なものとなった)は、「ニック」という人物の歩みの後ろに描かれたこの映画の輪郭(作品という限度)に触れるように交錯する。
 そしておそらくこのことが、ニックという架空の人物に、「いつも今ここで、その現実にさらされている」ようなみずみずしい輪郭(限界)を与え、この映画を、そのみずみずしい輪郭の向こうに人間というものの悲劇(その存在としての在りよう)を描く普遍的な、その現実の地平にまで落ち抜けた<作品>として、底知れないこの世界の中で結実させている。


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