幼児教育に携わるまで(プロローグ)
私の「幼児教育」に携わるまでの道のりは遠く、そのスタートは極めてゆっくりでした。
今回は、「幼児教育」に携わるに至るまでの道のりについて、少しお話ししようと思います。
私が学生をしていたころは、女子大、女子短期大学も多く、4大生より短大生の方が僅かに就職に有利と言われていました。
私が通っていた私学の女子高は大学も有しており、学内の成績で進学する学部学科を選択することができました。
また、幼稚園も有する学校であったため、幼児教育のための学部もありましたが、その当時はそれに興味を持てず、とりあえず一定の成績以上でしか選択できないと言われていた学部を選び進級しました。
今思えば、なんと浅はかなことかと思いますが、当時の私には、それが「かしこい選択」であったわけです。
そんなわけで、楽しく短大時代を過ごし、一般企業に就職。
13年ほどそこに在し、様々な経験を積ませていただき、結婚、妊娠を機に退職。
今でこそ「夫婦共働き」がスタンダードになっていますが、その当時は「3年ほどで寿退社」がまだまだメジャーでしたし、28歳を過ぎての結婚は「晩婚」とあからさまに言われる時代でもありました。
コンプライアンスなんて何のその、世の中ハラスメントだらけ、育児もまだまだ女性がするもの…そんな風潮が色濃く残っていました。
我が家も、それから大きく外れることなく、夫は私より若かったこともあり、毎日残業、週末は図書館通いという生活。
ただ、夫は家事は一切やりませんでしたが、育児の手助けはしてくれました。
例えば、おむつを替えたり、お風呂に入れたり。買い物に行ってくれたり。
また、母乳育児ではありましたがミルクを飲ませねばならないときもありました。とある日子供はなかなか飲んでくれず…、おそらく私がイライラしていることが分かったのでしょう、すぐにその役を代わってくれました。
そう考えると、当時の状況の中では、夫はよくやってくれていたのかなと思います。
(少々話が脱線してしまいましたね…)
月日が流れ、下の子供が小学校に上がってから、私は改めて就活を開始。
まだまだアラフォーの再就職には後ろ向きな風潮があり、パートの仕事さえ得ずらい状況でした。
この当時は、まだまだ「幼児教育」という言葉は頭に浮かんでいませんでした。
「とにかく社会とつながりたい」「少しでも学費を確保したい」でも「子どもが帰宅する時間には家にいたい」そんなわがままな職探しをしていたくらいですから。
おかげさまで、当時メジャーになり始めていた派遣会社に登録、自力で就活した時には「きれいな履歴書だね」と言って断られた企業に希望条件で採用され10年弱働きました。
ところが企業の事務所の地方移転に伴い退職せねばならない状況に。
当然再就職から月日もたっていましたから、その分年齢も重ねていました。
そのため、就活についても困難を極めるだろうと予想していました。
そこで初めて「働く」ということと「自分の人生」がリンク、今までの就活では考えていなかった「やりがい」という言葉が私の脳裏に浮かんだのです。
そこからは、「やりがい」について自問自答の日々。
そして、なにかに書かれていた「子どもの頃やりたいと思っていたことを仕事にする」というヒントともとれる言葉と出会い、それが「幼児教育」という具体的なものに結びつくきっかけとなったのです。
はは…笑えるくらいスロースタートでしょう。
ちなみに、子どもの頃になりたいと思っていたものは、
・おかあさん
・子供たちに英語を教える人
でした。
この「幼児に英語を教えるひと」には明確なイメージがあって、「自然と触れ合い様々な経験をしながら楽しく学ぶ」というものでした。
これってまさに「知育」!
こうやってその時その時の「偶然」の積み重ねが「必然」へと変わり今に至ります。
これこそが「縁」というやつなのかもしれませんね。
長い長い「序章」となってしまいましたが、この「序章」があったからこそ、今こうやって「幼児教育」とつながることができているのです。
様々な「縁」に感謝!
そして、こうやって読者の皆様と繋がれたのも「縁」。
心から感謝!!
でき得れば、こんな私に応援の「💖」を。
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