幸せの形は人それぞれという普遍的な問題に解決の兆しはない。

こんばんは、焼却炉です。久しぶりに一人カラオケを満喫しています、杏仁ミルク美味しい、

本日はここ最近あった出来事から思ったことを徒然なるままに書いていこうと思います。どうぞよろしくお願い致します。


お金を掛けた=価値が高いになる法則。

「私、配信者の人に100万貢いじゃったんだよね。」

そう言ったのは久々に会った友達だった。
まぁ別にそれで幸せならいいと思うし、否定する気もさらさらないのだけれどその友達は浮かない顔だった。

「名前も呼んでくれるし、電話もしてくれるし……ガチ恋みたいになっちゃって……止めた方がいいよね。」

どう返せばいいのか困ってしまった。きっと止めたところで、でもその人には良いところもあってね、と話が始まりそうな雰囲気だし、だからといっていいじゃんとも言えず。

合計100万を使い、その人の配信を観るのに時間を消費し。時間とお金を使ったのだからその人にそれだけの労力を割くだけの対価がいつか貰えるかもしれないと、その人にはそれだけの価値があると信じてしまうのも仕方がないのだと思う。

でもあれだけ浮かない顔をするその子は本当にその人に幸せの形を見出してるのだろうか。


裏切られるという想定はセーフティロックか。

私は今自分のために化粧品を買ったり、服を買ったり、美味しいものを食べたりするのが楽しくて仕方がなくて、自分以外の他者という存在に熱を注ごうとは思わなくて。

ただそれ以上に他者は誰だって、タイミングさえあってしまえば自分に牙を剥くのだと、予防線を張る自分がいる。人間というものは自分も例外でなく誰しも凶器を持っていて、たまたまそれが今はこちら側に向いていないだけのことだと。例え血が繋がっていたとしても、凶器を向けてくることはあるのだと。だから余計他者に背中を見せることは難しいし、熱意を注ぐのも難しい。だから最初から見せなければ良いし、注がなければいい。そうしたら例え裏切られたとしても冷静に対処出来る。面倒なら何も言わずに切り捨ててしまえばいいし、腹が立って仕返ししたいと思ったのであれば今までの付き合いの中で得た致命的な情報を駆使して仕返しすればいいのだから。そうやって裏切られることを想定して、人間関係を築く私もまた今の自分に幸せの形を見出せているのだろうか。だから少しだけ傷つきながら熱意を注ぐ友達が眩しく見えた。でも、私は私の主導権を渡したくないから、やっぱり今のままなのだと思う。無理やり奪われそうになる事態が起きたなら舌を噛みちぎるまでのことだ。


誰かの幸せは誰かの不幸の上に成り立つが暗黙の了解。

他者に依存する形の幸せや不幸は難儀なものだ。他者によって感情の動きを激しく揺さぶられれば揺さぶられるほどその他者に依存してしまうのだから。自分で感情の動きをコントロール出来たならそんなこともないだろう、でもそれはそれで人間としての何かが欠落してしまうような気がするが。ただ、その人の幸せを支えるために自分が不幸になっていると感じるなら一度立ち止まって考えればいいし、最悪その人を引きずり下ろしてしまえば、もしかしたら質量保存の法則で逆に幸せになれるかもしれない。


その子はあの話の後、自分磨きに時間とお金を使いたいと言い、色々教えて欲しいと言った。だから今私ができることはその子の手助けをすることと、その子がもしその人を引きずり下ろしたくなった時に使えそうなことを考えるだけだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?