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国際政治のモデルで見る世界史4~冷戦と欧州統合~

イントロダクション
こんにちは、こんばんは、
おはようございます!Renta@マレーシア
から国際関係論について考える人です!

今回のnoteは、国際秩序のモデルを使って
見る近代現史その4です。

冷戦と欧州統合がテーマです

今回のnoteを読むメリットは以下です

  • 「冷戦=長い平和」という逆説について知ることができる

  • EUの源流について知ることができる

その1から読みたいという方はぜひこちらのマガジンを


冷戦期の安定は核兵器に支えられた逆説的な平和だった

ジョン・ルイス・ギャディスという学者は冷戦を長い平和(long peace)と捉えています。
詳細に言うと、冷戦期は恐怖に支えられた逆説的な平和でした。 それを支えている要素が、核兵器による相互確証破壊状態の樹立です。 つまり、
アメリカとソ連が大量の核兵器を保持することにより、お互いに核ミサイルで攻撃をすれば滅びてしまうという恐怖が、 米ソの大戦争を防ぐ要因になっていました。

この状態の比喩としてマックスウェーバーの言葉があります。

善からは善のみが悪からは悪のみが生まれるというのは人間の行為にとって決して真実ではなく、しばしばその逆が真実である。

 つまり、核兵器という悪から平和という善が生まれたということを示しています。
これをベースにおいて冷戦終了までの流れを見ていきます

第二次世界大戦直後のパワーバランス

終戦直後のヨーロッパのパワーバランスはソ連に大きく傾いていました。
「ソ連軍が大西洋に到達するために必要なのは
ブーツだけだ」とまで言われていたほどです。
理由は第二次世界大戦による主要国の疲弊があります。
つまり戦勝国であるイギリスやフランスは植民地の反乱を押さえ込むために軍事力をアジアや
アフリカに割く必要がありました。

西ドイツは 戦勝国に非武装化されました。
それに対してソ連は国力が比較的頑丈だったのでヨーロッパで最強の国に成り上ります。
これではヨーロッパがソ連に支配されてしまいます。
だからアメリカやイギリスなどの視点からすればパワーバランスを回復する必要があったのです。

実際には1955年頃に回復されます。 具体的には
二つの要因があります

  1. 日独の再軍備

  2. NATOを通した米国の関与

一つ目が日本とドイツの再軍備です。
当時、世界のメインアクターは五つあると
考えられていました。
それがアメリカソ連中国ドイツ日本です。
日本はソ連の隣国でもあるので、アメリカは
日米同盟を結ぶことでソ連に対抗します。

二つ目の要因がNATOを通した米国の介入です。 たとえドイツの再軍備させたとしても、やはり
ソ連には単独で対抗できません。だからソ連に
対抗し得る唯一の大国である米国がヨーロッパに関与する必要がありました。
その結果として作られたのがNATOです。

キッシンジャー時代のパワーバランス

ニクソン米国大統領の下で国務長官を務めた
キッシンジャーは、 冷戦初期とは少し異なる形でパワーバランスを考えていました。
まずメインアクターについてはアメリカソ連日本中国欧州という枠組みです。
ドイツから欧州にと変わった理由は、
当時欧州統合が進んでいたためです。

また、キッシンジャーは中国の台頭に注目していました。
毛沢東(もうたくとう)から鄧小平(とうしょうへい)に中国のリーダーが変わり、
経済発展の芽が出始めていたのが当時の中国です。 そこでキッシンジャーが考えたのは中国をアメリカ側に引き込むということです。

キッシンジャーは中国をアメリカの方に引き込むことで、 ソ連に対して4対1の状態に持ち込むことができると考えました。つまり米欧日中vsソ連です。
これがベトナム戦争終了周辺でのキッシンジャーの忍者外交とも呼ばれる中華人民共和国への電撃訪問と、アメリカが中華民国(今の台湾)を国家承認することを止め、中華人民共和国と国交を始めたきっかけです。

ニクソンとキッシンジャーの外交は1989年の冷戦の終了の布石となりました。というのも、4対1の中で軍拡を挑んだソ連は財政難で挫折せざるを
得なかったからです。

ヨーロッパのコミュニティの体系

ここで少し時間を巻き戻して、
冷戦期のヨーロッパについて、 もう少し細かく
見てみましょう。

ヨーロッパでは冷戦期から、 コミュニティの体系の模索が始まります。 コミュニティの体系というのは、前節までで説明していたパワーバランスを使って平和を模索するのとは違って、 国際機構などを通した民主的なプロセスによって利益の調和を目指し、平和を目指す、 という秩序の作り方です。国際連合もそういう側面があります。

冷戦以降のヨーロッパは欧州統合をキーワードにコミュニティの体系を模索していきます。
そのきっかけとなるのが1949年の欧州審議会の設立及び、「国際協調に基づく平和の追求が目指すべき道である」という声明です。

つまり欧州が目指すコミュニティの価値観がこの声明に明文化されています。 この価値観に従って欧州統合が進んでいきます。

例えば欧州石炭鉄鋼共同体が1950年代前半に設立します。近代ヨーロッパの戦争は主にフランスとドイツの資源の争いが軸になっていたところがありました。なので皆で一緒に管理しようというのが欧州石炭鉄鋼共同体の考え方です。
加えて欧州経済共同体、欧州原子力共同体が
50年代後半に設立し、統合が進んでいきました。
イギリスやスウェーデンなどの独自路線を貫いていた国もありましたが、 欧州共同体の市場としての魅力が増すにつれて加入国は増えていきました。

欧州統合にとっての最大の問題がドイツの再統一でした。

冷戦の終了およびソ連の崩壊によって、西ドイツと東ドイツが統一される可能性が出てきました。

これに対して、二つのアプローチがヨーロッパの中で提唱されます。
一つ目が統一ドイツに反対するアプローチです。 イギリスとフランスが連携し、アメリカが
ヨーロッパへの軍事的な関与を継続することで
ドイツを抑制するというアプローチです。

二つ目のアプローチが、 統一されたドイツを欧州統合に組み込むということです。
既に西ドイツは、欧州統合にある程度組み込まれています。 だから戦争を起こしたくても起こせない。もしくは紛争が起きたとしても解決する場所が欧州統合の中にあるので、たとえドイツが統一されたとしても 問題はないと考えるアプローチです、

当時のイギリス首相の サッチャーは統一ドイツに反対し、当時のフランスの大統領のミッテランは、 ドイツの再統一に賛成していました。
ミッテランは「ドイツの問題はヨーロッパの磁力によって解決されることになるだろう」という言葉を残しています。

実際はこの二つのアプローチの間を取ったものが採用されています。つまりアメリカのNATOを通した欧州への関与は継続されますが、ドイツは再統一され欧州統合に組み込まれて行きます。
1993年にはEUが発足し通貨統合や更なる政治統合が志向されます。

まとめ

18世紀は理性と自制の時代でした。

指導層や王族が親戚同士もしくは教養豊かな人物たちだったこともあり、戦争をすると言っても
お互いに皆殺しをするというレベルには行きませんでした。

戦争をしすぎるとかえって自分の国の力を削いでしまうということが理性的な判断によってわかっていたので、程々のところで止めておくという自制が働いていたのが18世紀です。

19世紀から20世紀はナショナリズムと大量破壊の時代です。 ナショナリズムの興隆によって、自民族の優越感に駆られ、 他国を駆逐するまで攻撃してしまう傾向がありました。また科学の発展によって大量破壊が戦争の中で可能になったのが19世紀から20世紀前半の時代です。

冷戦は核兵器による計り知れない恐怖の時代でした。 つまり、 ナショナリズムもあるし、大量破壊できる兵器もあるのだが、核兵器の大量破壊のレベルが高すぎて 各国に恐怖を植え付けました。
そのことによってかえって理性的に振る舞うようになったのが冷戦期の特徴です。

計り知れない恐怖によって戦争が抑制されているからこそ、欧州は統合にむけて踏み出せたという側面も見逃せません。

次回のnoteでは冷戦が終った後のアメリカ主導の国際秩序とその挫折について見ていきます。
最後まで読んでいただきありがとうございました!




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