隊商都市パルミラ

イントロダクション

こんにちは、こんばんは、おはようございます!Renta@マレーシアから国際関係論について考える人です!

シルクロードシリーズ今回は、パルミラという都市を取り上げます。
パルミラは現在のシリア付近に存在していた隊商都市です。絹を始めとした物資がユーラシア大陸やアフリカ大陸に流通するための隊商都市なので、シルクロードに欠かせない存在だと言えます。

パルミラは周辺の国々とどんな相互作用をもたらしたのか、見ていきましょう。


パルミラとは何か

まずパルミラとは、シリア砂漠のほぼ中央に位置するオアシス都市です。

ペルシア湾方面からダマスカスと地中海東岸の海岸都市を結ぶ隊商貿易の中間の要所として栄えました。

当時大きく栄えていたのが、東部のローマ帝国と西部のペルシア帝国なので、その2つを結ぶ中継都市としてパルミラは繁栄します。

パルミラ周辺の地図

元々は独立した都市だったパルミラは、1世紀ごろにローマ帝国の影響下に入ったとされています。

パルミラ帝国の誕生と滅亡

もともとローマ帝国の支配下にあったパルミラは3世紀ごろにパルミラ帝国(またはパルミラ王国)として勢力を拡大します。

パルミラ王国

なぜこのようなことが起こったのでしょうか?
原因は2つ考えられます。

1つ目に、当時のパルミラ女王だったゼノビアが反ローマ的だった可能性があることです。ゼノビアの前にパルミラを取り仕切っていたのは、オデナトゥスというゼノビアの夫でした。

オデナトゥス時代のパルミラは親ローマ的でした。

例えば、ササン朝ペルシアローマ帝国の対立に乗じて富を築き、ローマの市民権を得ています。また、ローマ皇帝ウァレリアヌスがササン朝の捕虜となったときに、ローマ軍に代わってササン朝ペルシアと戦い、「全オリエントの統治者」の称号をローマ帝国から授けられます。その後オデナトゥス自身「諸王の王」を称し、メソポタミア全体に勢力を拡大します。

しかし、オデナトゥスは暗殺されてしまいます。しかも、その犯人はゼノビアとされています。よって、ゼノビアが政権を取り、反ローマ的な政策を行いました。

具体的にどうしたのかというと、ゼノビアはローマ帝国からの分離を狙います。

それが、パルミラ帝国の拡大に繋がるのですが、ここにはもう一つ理由があります。
それは、ローマ帝国自体が危機に見舞われていたことです。

パルミラ帝国が勃興したころのローマは「3世紀の危機」と呼ばれる時代です。「3世紀の危機」とはローマ帝国の政治的混乱の時期を指します。

危機前のローマはセウェルス朝という王朝でした。しかし、セウェルス家の内紛が続き、皇帝暗殺がふたたび起こるなどその権威は衰え、セウェルス=アレクサンデルが235年に暗殺され、セウェルス朝は終了します。そこからローマ帝国が混乱期に入ります。

元々、ローマ帝国の皇帝は元老院から選出される共和制が取られていました。しかし、セウェルス朝の滅亡によって、元老院議員ではない軍人が軍団に推されて皇帝になるという「軍人皇帝」時代となります。軍人皇帝の地位は軍隊の意向によって左右され、反対派によって暗殺されるということが相次ぎました。これによって、1年の間に10回以上皇帝が交代する事態となります。

つまり、ローマ帝国は一種の内紛状態に入ったのです。内紛している状態で、外敵から身を守れるわけがありません。実際に、辺境では異民族の侵入が相次ぎました。特に帝国の辺境であるライン・ドナウ方面でのゲルマン人、および東方のササン朝ペルシアとの境界付近が不安定になります。

パルミラ帝国の勢力拡大は、その一環として行われたものでもあります。

しかし、「3世紀の危機」はあくまでもローマが内側で揉めているから相対的に弱体化したように見えるだけであって、ローマが持っているポテンシャル自体が損なわれたわけではありません。実際に、パルミラ帝国は軍人皇帝の一人であるアウレリアヌス帝によって滅ぼされてしまいます。

隊商都市としてのパルミラ

最後に、パルミラの隊商都市としての実力を見ておきましょう。
率直に言うと、かなり繁栄していたようです。

パルミラの繁栄の原因は恐らく、ローマとペルシアの嗜好品の中継貿易ですが、それがどれくらいの規模で行われていたかを指標とすることができます。

パルミラの商人たちによって設置された公的な碑文には、影響力のあるパトロンに感謝を述べているものがあります。というのもパトロンたちによって大規模な隊商への資金調達が可能になっていたからです。

これらのパトロンは、隊商自体に同行する必要はありませんでしたが、ステップを通過する安全な通路を手配しました。また、パルミラの騎馬民兵団は、都市が支配する広大な地域の商人を支援し、地域の遊牧民族との良好な関係を築きました。また、パルミラの資金力はインド貿易にも及んだようで、パルミラとインドを繋ぐペルシア湾にも積極的に進出したようです。

これらの繁栄を示すエビデンスとしては、パルミラから中国の絹やインドの織物が発見されたことが挙げられます。

まとめ

3世紀前後の隊商都市パルミラについて見てきました。
パルミラはローマとペルシアの間にあったので、シルクロードの影響を受けていたと考えることができます。

また、ローマの「3世紀の危機」の時代には独自に勢力を伸ばすほど力がありました。その力の源は中継貿易による経済力です。

現在は混迷している中東ですが、地理的な重要度は変わりありません。
政治的に安定したらパルミラのような統一勢力が現れるかもしれません。

最後までお読みいただきありがとうございました!

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