シルクロードと食物のグローバル化

イントロダクション

こんにちは、こんばんは、おはようございます!Renta@マレーシアから国際関係論について考える人です!

今回は、古代シルクロードにおける食のグローバル化(food globalization)について考えてみたいと思います。


食のグローバル化の条件

食のグローバル化とは、ある食文化が元々の地域を離れ、別の地域にも導入されたりその地域の食文化と入り混じったりすることを指します。

例えば、米はユーラシア大陸で生まれたものですが、日本の食文化の1つとなっており、日本は東アジアや東南アジア諸国と米食を食文化として共有しています。

そして、この食のグローバル化が起こるのに必要なのが農業であり、定住なのです。

まずは、定住について考えてみましょう。
人類はアフリカ大陸で生まれたとされています。そして、長い時間をかけて世界中に広がりました。現在でもアフリカ大陸とユーラシア大陸はもちろんのこと、南北アメリカ大陸にも移動します。当時はまだユーラシア大陸と南北アメリカ大陸が、現在のベーリング海峡のところで繋がっていたからです。

ということは、人類は元々は遊動的だったのです。だから、食料調達の方法は当然狩猟採集となります。

定住せずに狩猟採集をしているということは、食料をため込むことが出来ません。ため込むための定住地がないからです。食料の余剰生産がないため、誰かに輸出するということも起きません。よって、遊動段階の人類は食のグローバル化は起きず、自分がいるところの食べ物をただ食べていたと考えることができます。

だから、定住が食のグローバル化には必要なのです(逆説的ではありますが)。また、食のグローバル化によって各地に広まったのは麦や米などの穀物なので、農業も食のグローバル化の条件だと考えることができます。

少し余談ですが、農業が始まった理由を説明するのはかなり難しいようです。
通説としては、「人口余剰を賄うために、食糧生産がより効率的な農業が選択された」というものがあります。

しかし、食糧生産が人口に対して十分な量になったのは最近のことです。これは化学肥料のもとであるアンモニアを人工的に生産する方法が発見されたことが要因です。
そんな現代でも、最貧国は食料の供給が十分とは言えない環境にあります。

また、農業を大規模に行うにはそもそも大人口が必要です。農業生産量と人口増加が比例しているデータもありますが、人口が多いから農業生産が増えているのか、農業生産が増えているから人口が増えているのか分からない状況にあります。

しかし、食がグローバル化する程度には余剰生産があったため(もしくは定住によって上層階級による下層階級の農業生産の回収が可能になったため)、穀物が他の地域に輸出されるようになったのは間違いなさそうです。

食のグローバル化はどのようにしてはじまったのか?

それでは、食のグローバル化はどのように始まったのでしょうか?
まず、現代の私たちのように国と国とが輸出・輸入する、という形ではなかったようです。というのも、そもそも現代のような国家があったわけではないからです。

食のグローバル化は草の根的に紀元前3000年~2000年ごろに起こったとされています。
そこで大きな役割を果たしたのは遊牧民です。

遊牧民は馬や羊を飼っているので、彼らが食べる草を求めて移動します。
ただし、遊牧民が住んでいる土地は必ずしも食料に溢れているわけではないので、遊牧民自身が食糧難を回避するために、定住民と食料や嗜好品を交換したり、時には略奪したりしていました。これを様々な地域で行うので、異なる定住民の食文化が遊牧民を介して伝わります。

遊牧民が商業を推進するのはよくあることで、かのモンゴル帝国がユーラシア大陸を支配した時も、モンゴル帝国が領域内の商業を保護したため、経済的な繁栄が訪れます。

遊牧民を介していったん他国の珍しいものが伝わると、そこに商人が目を付けます。珍しいものの方が高く売れるからです。ということで、シルクロードの陸の道を中心に交易路が確立されていきます。

食のグローバル化のここまでの発展は、いわばボトムアップ的なものです。いったんこのような流れが形成されると、今度はトップダウンで維持されるようになります。

例えば、より安定した農業生産を行うために、大規模な灌漑工事が行われたり、二毛作が導入されます。これによって、農業に必要な水を確保することができ、季節によって異なる作物を作ることで、土地を放置している期間を減らすことが出来ます。

これらの施策が当時の国家や首長によって進められていくのです。

食のグローバル化はどのような効果をもたらしたのか

まず注意すべきは、食文化としては何だかんだ人々の嗜好は保守的に留まったということです。
例えば、比較的乾燥している穀物(大麦など)はユーラシアの西側では人気でしたが、東側では水気が多い米がより好まれました。

しかし、これは食のグローバル化に意味がなかったということではありません。各地域の気候に合わせて穀物が進化した事例もあるからです。

グローバル化によって同種の食物が行き渡る一方で、その食物がその土地に合わせて進化したという側面もあります。

実は日本米がその好例です。
日本米は東南アジアなどの米と比べて、より粘り気が多いです。

これには、米の中に含まれるアミロースという分子の量が関わっています。アミロースが少ないほど、米の粘り気が多くなるのです。

例えば、米の中で最も粘り気が多いもち米にはアミロースが含まれていません。

もちろん、元々日本列島にいた人たちが粘り気が多いものを好む嗜好だったから、そのように進化した米が残ったのか、そのように進化した米をたまたま日本人が好むようになったのかは分かりません。しかし、大陸から食のグローバル化を通して伝わった米が、独特の形でローカライズされたのは確かです。

まとめ

食のグローバル化は、遊牧民や商人の活動によってボトムアップ的に始まり、その後は国家も介入してトップダウンで維持されるようになりました。

食のグローバル化を通して、主に穀物がシルクロード中に流通しましたが、地域ごとの気候や嗜好を反映して、ローカライズされていきました。

同じものがグローバルに広がりローカライズされるという食のグローバル化の特徴は、もしかしたら現代のグローバル化の中での調和を考えるヒントになるかもしれません。

最後までお読みいただきありがとうございました!

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