藤原定家|和歌のイノベーション「本歌取り」

いま一番のバズワードは「イノベーション」だろう。もはや言われすぎて手垢まみれになっている。それほどまでに古い伝統を打ち破り、どうやって新しいものを生み出すのか、が平成から令和への最大の関心事になっている。

ビジネスでも教育現場でもスポーツでも、イノベーションを起こして、既存の枠組みを乗り越えることが叫ばれているのだ。

でも、それは現代に限ったことではない、いつの時代でも伝統や慣習に飽き飽きして、イノベーターや変わり者、アウトサイダーたちが新しい常識をつくり出す。

それは中世日本も例外ではない。というよりも起こしていた人がいたのだ。それが藤原定家という歌人である。

❡伝統と革新を両立させる本歌取り

時は13世紀、鎌倉時代のこと。和歌の歴史でいうと、『新古今和歌集』が定家によって編纂された時期だ。その頃流行した和歌の手法に「本歌取り」というものがある。

本歌取りとはwikiによると、こうある。

「歌学における和歌の作成技法の1つで、有名な古歌(本歌)の1句もしくは2句を自作に取り入れて作歌を行う方法。主に本歌を背景として用いることで奥行きを与えて表現効果の重層化を図る際に用いた。」(wikiより)

13世紀の本歌取りでは、万葉集(7,8世紀)のような古典をリメイクして現代風に変える手法だ。今でいうと、リメイク、リブート、カバー、リスペクト、マッシュアップのような手法だといえる。

ただし、それが明らかに古歌に由来するとわからないければならない。かってにパクるのではなく、もとの歌を前提としたものでなければならない。

本歌取りの定義は専門家にも難しいものらしいが、和歌文学の専門家・渡部泰明によると「ある特定の古歌の表現をふまえたことを読者に明示し、なおかつ新しさが感じ取られるように歌を詠むこと」(渡部泰明著『和歌とは何か』より)と表現している。これでも厳密ではないそうだが、大切なのは、古歌と新しさが同時に共存できるかどうかが重要らしい。

❡定家がアップデートした「雪の夕暮れ」

たとえばこういうものだ。

(A)駒とめて 袖打ち払ふ 陰もなし 佐野のわたりの 雪の夕暮れ
(新古今集・藤原定家)

訳は「私の上に降る雪を、馬を止め袖で払い落とそうにも物陰すら無い。ここは佐野の渡し場、雪の中の夕暮れ」。

この本歌はこれだ。

(B)苦しくも 降りくる雨か 三輪の崎 佐野の渡りに 家もあらなくに
(万葉集・長忌寸意吉麻呂)

訳は「うんざりだな、この土砂降りには。ここ三輪の崎の佐野の渡し場には、家もないというのに」。

このアップデート具合がわかるだろうか? 
本歌では「雨」を扱い、「旅の苦労」を詠んでいる。しかし、定家はそれを「」に変え、さらに、「夕暮れ」を添えている。

これが定家流のアップデートなのだ。
どういうことか?

和歌の歴史を紐解くと、万葉集時代から新古今集に至るあいだで、なにを「良い」とするかのアップデートが起きている。簡単に言うと、「心をどうやって詠むのか?」にある。

「心」とは和歌で表現したい本題ともいうものだ。和歌には「詞」と「心」がある。詞とは言葉のことで、心を詠むのが和歌だと言われてる。起きている事象をそのまま詠むのではなく、そこにある心を詠むことが「良い」ものなのだ。

その「心」をどう詠むのか。万葉集の相聞歌(恋の歌)には主に2つの方法がある。一つは「正述心緒(せいじゅつしんしょ)」といい、心に思うことを直接表現するものだ。もう一つは「寄物陳思(きぶつちんし)」といい、物や景色に託して思いを表現するものである(もう一つに比喩もある)。

この寄物陳思が和歌の歴史では重要となる。そのまま愛や恋を伝えるのではなく、物や景色に託すことでその本心を詠むのだ。だからこそ、現代人には理解しづらくなる。その物や景色への共通理解や共通の感覚がないと読み解きづらくなっている。

その寄物陳思のような物や景色に託せば託すほど和歌は進化していく。そういう目で先ほどの歌を見てみると、万葉集ではこうだった。(再掲)

(B)苦しくも 降りくる雨か 三輪の崎 佐野の渡りに 家もあらなくに

と、「苦しくも」と旅の苦労をそのまま表現している。ざっくり言うと、「雨も降るし、家も無いし、苦しすぎる」となる。

しかし、定家はこう詠んだ。(再掲)

(A)駒とめて 袖打ち払ふ 陰もなし 佐野のわたりの 雪の夕暮れ

ここには「苦しさ」は直接描かれていない。しかし、最後に「雪の夕暮れ」を添えて体言止めで終わる。訳文も「私の上に降る雪を、馬を止め袖で払い落とそうにも物陰すら無い。ここは佐野の渡し場、雪の中の夕暮れ」となる。

なんとなく投げ出された感じがする。受け手には「雪の夕暮れ」が最後に景色として残る仕立てになっているからだ。そこに苦しさを超えた美しさが広がる。「雪の夕暮れ」が眼前に立ち上り、わびしさも寂しさもあるが優雅でもある。この言外にこめられた趣のことを「余情(よせい)」と呼ぶ。名残のようなものだ。

こうやって定家は本歌取りの手法を確立していった。

現代から見るとどちらの歌が「いい歌」かというのはわかりづらい。それは歌謡曲とJ-POPを比べているようなものだ。歌は流行りものであるため「新しさ」を感じるかどうかがすべてになるからだ。桑田佳祐と宇多田ヒカル、椎名林檎とあいみょん、BOOWYとAlexandros、どちらが良いか悪いかというわけではなく、どちらに新しさを感じるか、なのだ。

❡古いものは盗んで良いのか?

ではなぜ「本歌取り」という手法を用いるようになったのだろうか。そこにこそイノベーションのヒントがある。

定家の時代から少し遡る。
万葉集の時代、平安時代中期頃までに和歌は確立した。しかしながら11世紀末、平安時代の終わりになると、和歌の様式性が足かせになり、新しい歌をつくったつもりでも、どうしても古い歌に似てしまう、という閉塞した状況になったのだ。

様式を生み出した時代を超えられないというのは、今の日本と同じだろう。いまでも、会社を生み出した人、雑誌を生み出した人、ゲームを生み出した人など、その様式を生み出したものは超え難い。

その平安期の閉塞感を端的に示すのが、「古歌を盗む」という言葉にある。藤原清輔の歌学書『奥義抄』では古歌を盗むことについてこう書かれている。「名人がそれほど有名ではない歌をより良い歌に変えるならよい」。なんとも身も蓋もない言葉だ。(この場合「カメラを止めるな」の脚本事件はどうなるのだろう?)

その後、この「盗む」という方法に、あえて古歌を顕在化させる、という考え方が融合して、本歌取りとなった。本歌取りでは古い歌も受け手に明示される。つまり、明示することで読者がその和歌に参加することが可能となり、読者が本歌と新作歌の相互関係を育てていくことを可能としたのだ。中世のユーザー参加型コンテンツの誕生だ。

それは同時に古歌の魅力も再生させる。新作歌だけが目立つのではなく、古歌もリバイバルし、新作によって新しい奥行きがもたらされる。その相互依存関係が本歌取りの重要なところなのだ。まさに現代でいうリスペクトである。

❡藤原定家のイノベーション論

このパクリ(盗み)と本歌取りの違いこそが、イノベーションのヒントになる。

驚くべきことに、この「盗み」に対して、定家はかなり意図的に本歌取りを体系化していた。藤原定家は『詠歌大概(えいがのたいがい)』の中で、本歌をとるにあたって、模倣を回避するための方法を明示している。

以下が定家による本歌取りのルールである。

1.最近70,80年以内の人の歌句は、一句たりとも取ってはならない。
2.古人の歌は取ってもよいが、五句中三句は取ってならない。
  二句プラス3,4字までなら許される。
3.本歌と同じ主題にすると新鮮味がなくなる。
  四季の歌を恋や雑の歌に変えるなどすると非難されない。

このルールは端的だがすごいものだ。

まず「1」。新しすぎるものは本歌取りしてはいけないという時間の距離を規定している。さらに、「2」で文字数(句数)を限定している。和歌は五句で構成されるが、その半分を超えるとNGなのだ。「プラス3,4字」というのが細かくて素晴らしい。最後に「3」でテーマとの距離を規定する。同じ主題ではダメ。「雑の歌」とは四季・恋・賀・哀傷・旅・別といったテーマ以外の歌をいう。つまりドメインを変えるということ。このズラしが重要となる。

なぜこんな方法を編み出したのか。閉塞感には先述したが、まったく新しいものを生み出そうすると、結局古いものに似てしまう、というジレンマに陥る。例えばスーパーマリオに感動した人が、それを超えようと、新しいゲームを作ろうとしても、結局はそれを超えられなくなる。スーパーマリオというゲームの影響下にある以上、自分の色を出せば出すほど、創始者の手のひらから出られないのだ。

そこで逆に古いものを模倣することに「開き直る」のが本歌取りだ。まったく新しいものではなく、本歌をリスペクトしたことを明示し、しかし、完全な模倣ではないものを創る。そのときに模倣から脱するようなイノベーションが生まれるはずだ、というのが本歌取りの思想なのである。

これは現代のイノベーションにも通用するだろう。現代でいうと第二次大戦が約70年前なので、それ以前であれば真似していいことになる(時代の変化が早いのでもっと近くても許されそう)。

そして、半分以上をパクってはいけない。2/5くらいに留めるのがよい。さらに、主題はズラす。スーパーマリオをゲームではないもので本歌取りしてみる。

この3つのポイントを意識することがイノベーションのヒントになるかもしれない。まったく新しいものなど生み出すのは大変だ。そもそもそんなものがあるかどうか怪しい。オリジナルという言葉は甚だ怪しいものだからだ。そうではなく、①1世代くらい前のものを、②2/5くらいの割合で拝借し、③別のドメインで提供する

これこそが多くの歌人たちが数百年かけて編み出し、藤原定家が確立したイノベーションの方法なのだ。こんな方法を明記していた定家の慧眼はすごい。優れた歌人は同時に優れた批評家でもあるべきだ、というのは丸谷才一の言葉だ。歴史の中にはまだまだ隠された方法がありそうだ。


(参考)
渡部泰明『和歌とは何か』(岩波新書)

丸谷才一『日本文学史早わかり』(講談社文芸文庫)


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