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【3.11震災遺構】津波のあった場所にいってきた


住宅跡地に置かれたミニカー

行ってみたい場所

せっかく東北に来たのだから、わたしは3.11の津波にまつわるスポットに行ってみたかった。

そこで、ここに行きたいと震災遺構の荒浜小学校のGPS情報を夫に送ったところ、
夫は「(GPSを見るかぎり)ここ、何もないよ?」と言うので
「何もなくなってしまった場所だから、見てみたいんだよ」と答えた。

直接被災していない私にとっても、あの震災は人生で1番と言ってもいいくらいの衝撃だったから、日本人として行ってみたい。
ここまで近くに来てるのにいかないと後悔すると思う。とも言った。

タイ人の夫は、2011年当時は日本とは無縁の生活をしていた。
あの震災は世界でもすごいニュースではあったと思うけど、日本人が受けたほどのインパクトは無かったと思う。

けど、彼は「わかった行こう!」と言ってくれた。

よかった。

この場所に行ってみたいという気持ちは、興味がない、行きたくない、で一掃されたらわたしは多分とても傷つくところだった。

震災遺構 仙台市立荒浜小学校

 2011年3月11日に発生した東日本大震災において、校舎2階まで津波が押し寄せ、大きな被害を受けた仙台市立荒浜小学校。 震災当日、児童や教職員、住民ら320人が避難したその校舎を震災遺構として公開し、東日本大震災の教訓と地域の記憶を、後世へ伝えています。

公式HPより引用
天井がはげた教室
1階の教室

高さ9m超の津波に襲われ、約190人が亡くなった荒浜地区。

この辺りの土地は本当に平坦だ。
生徒教員だけじゃなくて地域の人全員にとってこの荒浜小がいのちの砦になったことが現地でまわりを見るとよくわかる。

平坦な草原のような土地
学校2階からの景色
天井まで破壊された廊下
砂が着いて汚れた時計
あのときから止まったままの、体育館の時計

屋上にも上がったんだけど、胸がいっぱいで写真を撮り忘れた。

深沼海水浴場

学校からすぐそこの海。

美しいサンドビーチ

かつては海水浴場としてにぎわっていたらしい。
ものすごく広いロングビーチで、こんなに広範囲にわたってあんなに高い津波が発生したなんて信じられない。

荒浜地区住宅基礎

ビーチのすぐうしろは、住宅のあとがいくつか残されている。

壁と枠組みが断片的に残った家
塀とか、枠とか。
家の塀だけが草原に残っている
あの木が2本立っているところも、
元々は林だった。

枠だけがのこった家の中で
1輪の大きなスイセンが風にゆれているのを見ていた。

夫も同じものに注目していたようで「あのスイセン…胸にくるものがある」と言ったので「ほんとだね」と言った。

水仙の花

感想

ここに来た感想を言葉にすると陳腐なかんじになってしまい大変恐縮なんだけど、
亡くなった方のご冥福を祈って、
助かった方の幸せも願って、
復興に尽力された方々の功績も感じて、
防災意識も高まった。

とくにわたしの住む地域は南海トラフでは津波のリスクがあるとされているので、いつでも最善の行動が取れるようにしなきゃと気を引き締めた。

引き締めた…んだけど、
寝る前に荒浜の津波の実際の映像をyoutubeで見たら、しかたないときはしかたない。と思うしかなかった。

世界はいつも驚異的でいのちは儚い。

1秒先に何が起きてもおかしくないのに
こんなに弱っちい心を搭載したちっぽけなわたしの体は今日も1日生きました。

すごいことだと思う。

変わった形の花びらの黄色い水仙


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