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クルマに生きる、文化財を駆る~Part.2~

クルマという文化財

前回は私とG63 AMG 6x6との出会いをご紹介した
Part.2にしてようやくこのnoteのタイトルについて回収しよう

端的に結論から申し上げる
私は今回話題に挙げたこのクルマを「文化財である」と認識している



まず、私も毎年楽しみにしているクラシックカーや希少車の展示会、オートモビルカウンシルに出品されるような、まさしく文化財と呼ぶにふさわしい貴重なクラシックカーをお持ちの皆様

生意気なことを申し上げて、本当に申し訳ない

予め深く謝罪させていただく

2020年オートモビルカウンシル


たかだか10年落ち程度のクルマを「文化財」と称するのは違う、という批判は至極ごもっともだ

我が国には何十年もの間、複数のオーナーたちによって綺麗に維持され、中には日本、ヨーロッパの戦火すら潜り抜けてきたり、あるいは往年のレースで伝説的な活躍を見せてきた世界遺産級のクルマたちが多数眠っていることも重々理解している

ましてそのクルマのオーナーたちが、並々ならぬ努力を持って今日まで、ときに新車のようなコンディションでそれらのクルマを維持管理していることも十二分に理解している(というよりそのクルマを見れば一目瞭然である)

台数もお一人でとんでもない台数をお持ちの方がたくさんいらっしゃる

プライベートコレクションで博物館をされている方も国内には少なくない(残念ながら時代と共に閉館されてしまったミュージアムも少なくないが)

以前お邪魔させていただいたオールドカーセンタークダンさん

こちらの福島県双葉郡にあるオールドカーセンタークダンさんには国内外の様々な名車、そして飛行機や船までもが多数納められている


地名でお気付きの方もいらっしゃるかもしれないが、こちらの場所は東日本大震災で地震の揺れはもちろん、原発事故による大きな被害を受けた

それでも同施設のオーナーはそこから復活を果たし、今なお全てのクルマを走行可能な状態で維持している
展示車は全てジャッキか木材をかませ、地面に着地しないようにしてサスペンションやタイヤを守る徹底ぶり

まさに「維持するための意地」である

「入場料なんて全部のクルマの税金にもここの電気代にもならねぇよ」と笑うオーナー様の気概は本当にただただリスペクトだった

中には自らの終活として、大切な愛車をここに寄贈して帰っていった方もいたらしく、それすらも受け入れる心(と懐と土地)の広さは、到底私ごときが肩を並べられる次元ではない


オートモビルカウンシルに並ぶアストンマーティンたち
まるでタイムマシンで持ってきたような美しさを留めている


そんな博物館級のクルマたちとうちの子が同等だ、ましてオーナー様たちと自分は同等だ、などとは微塵も思っていない
思うことすらおこがましい、万に一つも思っているにしても実際問題そんなわけがない

明確にここは否定させていただく

「新しい」にはない価値


自動車という工業製品が、技術の進歩と共により性能が向上していくのは当たり前のことだ
今や自動運転すら実用化される時代であり、車としての価値はそういったところや燃費、安全性能が重視されつつある

そうした車に一般の目が向きやすいのは必然的なことであるし、まさしく快適な移動モビリティとしての車以上の価値を求めない人からすれば進化する新車に勝る魅力はないだろう

車検は新車は3年後、その前にニューモデルが出てきてその都度買い替えるなんてやり方をしている人も多い
何より我が国の場合、古いクルマはどんどん税金が高くなる
ちなみに、ほとんどの先進国の場合これは逆で、ドイツなどはクラシックカー減税なるものが存在する
「いいものを長く使うことこそ最大のエコ」という発想が根付いているわけだ

その中でも敢えて古いクルマにに乗り続ける気概たるや、特にこの国では並大抵のことではない


近年、クラシック、あるいはネオクラシックと呼ばれる時代の古いクルマは、今日の自動車の歴史の礎として「文化財」としての新たな価値を付与されている

技術的なマイルストーンとしてはもちろん、近現代のクルマにはない流麗なデザイン、手作りの味、ときとしてロストテクノロジー

物によってはレースの歴史と絡めて評価されるクルマも多い
特に人気と評価が高いのは「ホモロゲーションモデル」と呼ばれるレースに参加する車両のベースとして公道走行認可を取るためのクルマは、そのファンたちから絶大な支持を受けている

レースでの活躍が目覚ましく、ホモロゲーションの台数が少ないとなればその価値はもはや青天井だ
数億円単位のモデルも珍しくない

筆者が最も美しいと思うホモロゲーションモデル、CLK GTR
25台のみが製造・販売された同モデルは世界中のコレクターたちから「ユニコーン」と呼ばれ、2023年11月のサザビーズオークションで約15億円で落札された


こうしたヒストリーを持ったクルマたちは今、まさしく文化財としての価値、そして(あまり私はそれが望ましいとは思っていないが)投資対象とも見られているのが実態である

その文化財の走りを楽しみながら、守り、後世に残す役割を担うという意識の方はきっと私だけではないはずである


6x6と出会ったとき、私はふとこんな気持ちに駆られたのである
「このクルマはなんとしても後世に残すべき文化財だ」と

よく「古き良き…」なんて言葉があるがこれを使うとすぐに「懐古厨」「時代遅れ」、クルマの場合は「型落ち」などと揶揄されることもある


じゃあお伺いしますが、廃番になった化粧品の色、昔のブランド物のバッグを見て「前のやつの方がよかった」と嘆く皆さん
……特大ブーメラン刺さってますよ
(女性を敵に回しそうですね…このご時世こういう発言は気をつけねば)



レトロブームなんて言葉もあるが、古いものの良さは必ずある
むしろ最近の若者は自分の知らない時代の物にどこかロマンや映えを感じてこぞって求めているというではないか

ガラス食器メーカーのアデリアが新入社員の女性の意見で昭和レトロな花柄の食器ラインを復活させたところ大ヒットしたというニュースは記憶に新しい(当初、幹部層は猛反対したとか)

高画質化したスマホカメラに飽きた若者が、所謂「エモさ」を求めてチェキやフィルムカメラをこぞって求め、今や製造ラインの減ったフィルムやチェキ用紙が品薄状態という話も聞いたことがある

何でも「自動化しろ!ペーパーレス化しろ!AI使え!」と声高に叫びながら実は当人が大の機械音痴な上の層より、案外若者の方がそういうバランス感覚は持ち合わせているのかもしれない


クルマに話を戻そう
最近の何でもかんでも全自動!みたいな車はどうも私は慣れない


というより、それを車に期待していない



「スライド式でないドアも自動で閉まります」←別に手で閉めるわ!

「エアコンもナビも、全部タッチパネル内で操作可能です!」←スマホみたいにその画面が死んだらどうすんねん…反応悪いし指紋ベタベタになって嫌や!

「バックミラーは全てモニター式です!」←これも画面かカメラいきなり死んだら終わりだし修理代えらいやろ...

「ボタンを押せばコンシェルジュに直結!レストランの予約も承ります!」←スマホで自分でやるわ!!!!

「ユーザーの音声に反応して車がナビの音声入力が可能です!」←聞き取り甘いんじゃ手入力の方が早ぇわ!!

「道路標識を自動で検知して制限速度を超えると警告音が鳴ります」←いちいちピーピーうるせぇ!いらんことすな!!!


最新型の車に乗っているとどうしてもこう漫才チックになってしまうのはもはやもはや私が老害なのだろうか…
ディーラーから試乗車の案内をいただく度にこんな調子である

素晴らしいのはわかる、それによって便利になることがあるのもまぁわかる
メーカーとしても新型を売るために新技術、目新しさをつけなくてはいけない事情も重々理解する

ただ、何もかもが過剰スペックで、こちらが期待していないところまで機械化され、価格も吊り上がり、壊れるときには真っ先にそういった部分が壊れ、修理代も高額化する一方


本末転倒な気がしてならない



程よいアナログ感も「運転する楽しさ」と、ときに「直感的な使いやすさ」には欠かせないのである
最近は「車の計器類はやっぱりタッチパネルではなく物理スイッチに戻そう」という潮流も生まれているらしい

切実に大歓迎である

そもそも「やることを面倒くさいと思っていないことまで機械が取って代わらなくていい」


これに尽きる
ヒューマンエラーをなくすための事故防止機能などは非常にありがたく、進歩して然るべきだ

だが人間の直感的な操作感覚を阻害するUIは安全に寄与しているとはいえない

この線引きが最近のクルマには全くされておらず、とにかく最新技術のマシマシサービスに終始している

踏み間違いによる車の事故のニュースが流れる度に「車はマニュアルにすればいいのに」という意見も見られるが、これは極論にしても発想の根幹はまさにそれで「ある程度の人間の手間」も時としてそれは立派な使いやすさ、安全対策となる

「俺は常に最新型がいいんだ!」という皆様、いらっしゃいましたら誠に申し訳ない
もちろん筆者も、その方が車として使うにはこの国では非常に経済的かつ合理的であることも重々理解しております



乗って使って、楽しんでこその文化財


クルマという機械も人間と同じで、ただ静かに車庫に眠らせておけばよいものでもない

程よい運動こそ健康寿命には欠かせない

たまにはエンジンを回し、走っているクルマの方が実態としてコンディションが良いというのはもはやクルマ好きの常識である
うちの子も例外でなく、ちゃんとたまに乗って走らせてあげないと機械機構の機嫌を損ねることがある

タイヤ6つのうちの子は、その図体のデカさも相まって街で走らせるととにかく目立つ
街を走った後はこっそりX(旧Twitter)をエゴサしてみるとだいたい驚きと興奮を伴った目撃情報が上がっている

少々煩わしくも思うことがないわけではないが、わざわざ赤の他人が思わず写真に撮ってSNSに上げるくらいのクルマなのだと思うと素直に嬉しい(多くの人は問題ないがが私の顔とナンバープレートぐらいは隠してほしい)

出先の駐車場が心配な場合は必ずそこに予め電話をして確認する
この説明またが極めて難しい
高さと長さと幅がどうだ、などと数字を言っても普通の方はピンとこない

だから私はこう言うことにしている



「マイクロバスを改造したキャンピングカーです」


これが一番伝わりやすい、5年ほどかけて編み出した最適解だ

東北の山奥のまさに秘湯と呼ぶべき温泉旅館まで雪の中走って行ったこともある
文字通り受けていた宿の人は、想像と全く異なるクルマの出現に開口一番こう仰った

「自衛隊が来たかと思いました…」


吹雪の中、明らかに普通のクルマには存在しない位置の前照灯が4つもついた真っ黒い物体が向かってきたわけである
あまりに的確な感想であると今でもこれは笑い話にしている

ちなみに到着した日の夜、どうやらネットで調べたようで宿の方が顔色を変えて部屋に飛んできた
「あのお車、何かあると怖いので宿のバス停まってる屋根付きのとこ空けますからそちらに停められませんか?」

できればそれは地元の日本酒飲み放題コースを堪能する前に言っていただきたかった笑

翌朝、完全に雪に埋もれたうちの子からサイドステップに登って必死に雪下ろしをして宿を後にしたのも良い思い出である

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イベントにも何度かお貸ししたことがある

スーパーカーのイベントといえばだいたい車高の低い2シーターのクルマたちが集まるわけだが、そこに全高2.3m、全長6mのタイヤが6つもついたバケモノが出現すれば、否が応でもお客さんには振り向かれる

存在感(物理)だけはどんなクルマにも負けない


そして、だいたいうちの子のことを分かっている方は、目の色を輝かせてお声をかけてくださる
赤信号で並んだトラックの運転手さんから窓を開けてお声がけいただいたことまであった
あちらは大型トラックであったが、どういうわけか普通車登録のこちらも全く同じ目線である


まるで街角で憧れの芸能人に会ったようなリアクションは、正直こっぱずかしいが我が子を褒められているようで素直に嬉しい


カフェの駐車場で興味津々の親子
両親とお兄ちゃんは喜んで見ていたが、妹たちは自動ドアのレールに挟まったカメムシに夢中だった(左奥)


いずれも、この子が我が家にやってこなければ決してなかった特別な思い出である

この子には本当に感謝だ


ここで文化財という話に少し戻ろう

戦国武将たちが愛した茶器も、北斎の浮世絵も、モネやピカソの絵画も、そして大きな城などの建造物も

今日残る全ての文化財は、それぞれの時代でそれらを愛し、投資し、ときに自然災害や戦火からも守り抜いてきた人間がいたからこそ、今日我々の眼前に美しい姿を留めている


残念ながら、生けるもの全ていつかは死を迎える



価値を理解し、それを守らんとする新たなオーナーの元に引き継がれない限り、後世にそれが「文化財」として残ることはない

文化財が文化財たる理由は、そこにこれまでそれを持ってきた人々の年月と愛情が蓄積されているからに他ならないのだ
生まれた瞬間から文化財と呼ばれるような物の方が珍しい

実は当の私がついついそんなことを考えずにはいられないのだ



改めて申し上げよう




私は
うちの子はそういった文化財として見られる日が、そう遠くない将来やってくる
とずっと思い続けている

買ったときからではない
このクルマの存在が世に出た瞬間からである

今までどこにも大きくは言えなかったことであり、そしてこのnoteという匿名の場所を借りて発信しようと思ったきっかけはこれだ

「希少だから」
「金額もそこそこするから」
「市場価値が上がっているから」

ならば今から「文化財」とおこがましくも呼ばせていただいたところで悪くもないだろう、という邪な私の魂胆も正直少しはある(人間だもの)

だが間違いなくG63 AMG 6x6というクルマが自動車というカルチャーの中で示す存在感は(物理的にも)大きく、特に世界中にファンの多いGクラスの中ではまさに「金輪際現れない一番星」であろう

これまでGクラスが築いてきた歴史を踏まえ、メルセデスが技術を結集させ、最高位に位置するモデルとして満を持して世に送り出された経緯もある

いつか必ずこのモデルは世界のクルマカルチャーに冠たる文化財と呼ぶにふさわしくなることを私は確信しているのだ

だからこそステアリングを握ることを決めた


どうかこの点だけは盛大な親バカならぬオーナーバカをお許しをいただきたい


クルマカルチャーの現在地


今日のクルマは、誕生以来続いてきたガソリンを脱し、電気や水素の時代へと大きく舵切をしてる
ここまで読み進めてくださった方には釈迦に説法であろう

時代の流れがら、この変化自体を否定するつもりは先述もした通り更々ないが、私がこれまで愛し続けてきたガソリン車の文化、何よりそれぞれに特徴あるエンジンサウンドが失われてゆくのは、クルマを愛する一個人として寂しさの方が強い

これはトヨタの豊田章男会長も全く同じことを仰っている

だからこそ、純燃焼器関係エンジンで走るクルマそれ自体がこれからますます古き良き時代の文化財としての価値を持つようになるのだ
特にコロナ以降、世界中で実物資産への投資が集中した結果、世界中の希少な車の値段は軒並み急騰した
新車価格も中古車の時価も同様にである

数億円という単位のクルマはもはや珍しくない
「スーパーカー」のさらに上の「ハイパーカー」と呼ばれるクルマが次々登場し、公表される各種性能数値はもはや普通免許しか持たない人間の腕で公道に放って良いものかすら疑わしい次元である

「億ション」という言葉はもう完全に市民権を得ているが、クルマ好きにとっては「億車」も全く珍しいワードではない
しかもそれが定価でである
プレミアの乗った額での話なら、もはや億車という言葉に珍しさなど微塵もないと言ってよい

先に少し触れたがクラシックカーの価値もまた異次元だ
最近ではメルセデスの300SLウーレンハウトクーペが184億円というとんでもない価格で落札されたことも記憶に新しい


「走る不動産」とはよく言ったものである



高騰した要因は少し異なるが、近年では人気の映画やアニメに登場していた新車価格数百万円だった日本車が一桁増えた価格で次々に海外へと売り飛ばされている

ひとつだけ、おそらくクルマ好きの方ならもう既にこの話題で頭をよぎっているであろう例を示そう
日産のR34 スカイライン GT-Rはトップグレードの状態が良い個体なら3,000万円を超える金額で海外に引き抜かれている(※あくまでも一例であり、ときにそれ以上の額のケースも見られる)

発売当時600万円ほどだったクルマが20年で単純に5倍に化けている
ちょっと異常な事態だ

新車購入時からずっと大切にしていたオーナーたちがこぞって「迂闊に乗れなくなった」「盗難対策に必死」と言うのも頷ける

R34のレンタカーが盗難され、なんとか輸出間際のところで発見されたニュースが全国的に取り上げられたことは皆さんも記憶に新しいことだろう


私はこれはまるでゴッホの絵に似た現象だと捉えている
今でこそ世界的な人気を博し、日本人にも馴染み深いゴッホだが、生前彼の絵は1枚しか売れなかったというのは有名な話だ

もちろんR34が生産中に全く売れなかったわけがなく、現存する数も全く違うため必ずしも同一視はできないが、少なくとも私を含め「20年落ちの日産のスポーツカーの中古車がフェラーリの新車並みの値段で取引される」日が来るとは誰も想像つかなかっただろう


何が言いたいか


今日の自動車を取り巻く環境の変化、そして人々の自動車に対するニーズの変化を見つめながら腕組みをして眉を顰めていらっしゃる、少なからずクルマに拘りを持ち、大切に乗られている皆様


いつかあなたのクルマも「文化財」と呼ばれる日が来るかもしれない

これだけは是非、頭の片隅に留めておいていただきたい

(Part.3に続く)
https://note.com/shiohiro714/n/nff345acb8bb3

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