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病院行ったら、リーチ即!入院だった

フリーランスになって3カ月ちょっと。7月の真ん中頃。きっちり体調を壊した。ただ壊したのではございませんよ。入院と相成りましたの話で、ござーい!

少しイキリ倒してた食生活

フリーランスになって初月からそれなりに仕事をいただけるという環境だった。そのわけは、こちらを参照。準備したものかなり。

とにかく、仕事は出だし順調だった。7月頭には新規の取材案件をいただき準備していた。ディレクターと2回打合せし、取材シートも作成し、10日後に取材というところで、入院となったのだ。

そもそも、小見出しにあるように「少しイキリ倒していた食生活」とあるが朝晩は妻が作ってくれる健康的な食事、だがしかし。油断ならないのは、昼メシ。フリーランスになればわかるが、いつ・どんなときに・なにを食ってもいい。基本的に。チャーハン作ろうが、から揚げ揚げようが、コンビニでパン買おうが、お鍋にしようが、お外でランチしようが。なんだっていいのである。

僕は、まぁ普段食べないカップラーメンや冷凍チャーハン、外食で回転ずし・お好み焼きなど、豚ロードを38章ぐらいまでしっかりまっすぐ、わき目も振らずに歩んでいた。特に、あの頃辛いインスタントラーメンにハマっていた。そこにさらに追いキムチ。キムチはモランボンだ。うまさの権化だから。鍋で作る激辛インスタントラーメン。気持ちばかりのネギと辛さ抑えのデブ確定の卵をドンとボディプレス!
喉を焼き殺すようなエグ目の辛み。胃が熱い。ハフハフ!もちろん白飯は欠かせない!汗かきながら、昼メシ食って、午後からの仕事に備える、そんな「ダメ」昼メシを食っていた。だってね、ほぼ座りっぱなしなんですよ。朝から。そりゃぁ、「ダメ」昼メシでしょ。食べ過ぎでもある。

で、なんかずっと「腹」が痛い

どんな事件が起きた?タイトルにもあるように、病院行ったら、リーチ即!入院だった事件だ。6月末あたりからかなりデカめの案件があった。コピー取材からのライティング、どうにもクライアントと肌が合わない。難航を極めていた。書いても書いても終わらない。そんななかで冒頭でも書いた7月頭に受けた新規の取材案件も入ってきた。仕事量的には恵まれている。そして、ストレスはかかり、暴飲暴食な昼メシへと突き進む。

で、毎日のことだが腹がなんだか痛かった。ヨガマットも買って、腹筋もかなり鍛えていたから、筋肉痛だなぁと。あの「コロコロのローラー」も買った。地獄の手押し車みたいなやつ。腹筋痛ではなかった。違った、てんで違った。それは入院の前触れ、体調不良のサインだった。

入院3日前のこと。慣れないZOOMでの取材を終え、夕方友人と久々の飲み会。おっさん二人で焼き肉を食い、バーでウィスキーを飲み、帰宅。取材時から腹が痛かった。取材時はアドレナリンマックスで腹痛を感じなかった。まぁ、その程度なのだろうとタカをくくっていたわけだ。

アッパー気味で下から突き上げられるような。そんな風に殴られたことはない。ちなみに親にも殴られたことはない。だがそんな例えしかできない。もんどりうつ夜。しかし今日は金曜。土日は様子を見て、月曜日も痛かったら病院だ。そういって、寝る。しかし、痛すぎて寝られない。

トイレで苦しむ。腹痛なのかと。しかし、出すもの出してもまだ痛い。苦しみ続けた土日。とにかく耐えた。たまに回復する。調子に乗って酒も飲む。波があるから、大丈夫なのかと素人判断。

月曜日になっても、痛かった腹

腹が痛い。とにかく。地元の総合病院へ朝イチ、駅前のロータリーからバスに乗って行く。とても車は運転できない。とりあえず、内科に回される。血液検査してステイ。二時間待つ。気絶しそうになる、で名前呼ばれる。

ドクターより、血液検査の結果を聞く。
「うーん、大腸がね砂嵐みたいに炎症してるね。入院しましょう。今日」
「砂嵐?」
「うん」
「嵐じゃなくて砂嵐」
「そう、CTしてもよく見えないんだよね」

入院確定。人生初。「よく我慢してましたね」とまで言われる始末。前日まで酒飲んでたって言えない。。。CTなどの精密検査に加えて、コロナの検査もありしっちゃかめっちゃか。とりあえず、クライアントに電話して入院の旨伝える。代理のライターを探していただき、もろもろ事なきを得る。進行中案件は、まだ納期は先。他の案件も、病院からクライアントに連絡しまくりだった。とりあえず、仕事の穴は埋めてもらった。フリーランスになったばかりなのに、なんとも。

そして、妻に連絡

仕事中の妻に電話。まぁなにもなかったと思っていただろう。開口一番「入院確定。今日から」と伝えると、「まじか」の三文字。まじかだよね。
とにかく家に一時帰宅し、入院グッズをバッグに詰め込み、再び病院へ。即点滴開始からの、入院手続き。

入院手続きには保証人がいるって知ってた?知らんかった。ギリギリ年代的に親が他界し始める世代なのだが、母が生きてる。事情を説明して母に保証人に。独身でだれも頼る人がいなかったらどうすりゃいいのってなるぜ。

わちゃわちゃしてる間に妻が仕事を早退して駆けつけてくれた。で、その他手続きをしてくれたのだ。そこから退院まで一週間。絶食2日。怒涛の点滴入院が始まった。

四人部屋でおじいさんたちばかり

部屋は相部屋。一番安いところにして、と言ったのが即反映された。後期高齢者というのだろうか、おじいさんたちと相部屋でとにかくナースコールが激しいメンツだった。三人ともリーチしてる感じで、テンパイ感が強い。鬼気迫る感じの病室に、まぁ挨拶無用でした。

尿瓶におしっこを取ってもらうような方ばかりだったので、生命のサウンドがとにかく鳴り響く。痰が詰まりかけて、吸引してもらったりしている方も。ナースコール押してもなかなか来ない!ウォーズマンがもうピークみたいに、もうすぐ30分経っちゃう!って。(この弱点もう克服したらしいね、流石ウォーズマン)

当時コロナ全盛だったので、看護師さんも疲弊。ナースシューズってやっぱ動きやすいけど、動かしすぎなんだよみんな。

この辺の話を脚色して小説にしたのがこちら「六人やないか」です

僕は「大腸が炎症(砂嵐)」とだけ最初に診察したドクターから聴いていたが、改めて主治医が説明にという話だった。が、なかなか来なかった。説明に来たのは二日目のことだった。不安が高まる。同時に腹が減った。絶食だったから。

早い話が、腸炎疑い

翌日の主治医の説明は、「大腸がえらい炎症起こしてる。おしりからカメラ」という話も聞こえてきたが、昨日から引き続き腹が減りすぎて頭がぼーっと。空腹とは最高のスパイスなのだろう、だがスパイスいいから米食いたい!ずっと病室でデカ盛りのYouTube見てた。見たことのないユーチューバーたちが、ラーメンを何杯も食べている。ラーメンをおかずに、ラーメンを食べるみたいな映像に自分を重ねた。

そんな食べ方はしていないが、体調不良の原因は暴飲暴食だと思う。病院は原因特定はしてくれないから、まぁ不摂生とストレスとみたいな感じ。ウィルス性ではなかった。抗生物質をガンガン点滴されて、数値は日に日に改善していたが、点滴も刺されすぎて腕が痛かった。

妻の差し入れに救われた

妻の差し入れ:着替え・歯磨き粉・カイロ(夏やけど。。。)・本・バスタオルとタオル。本は京極夏彦の。デカい。重い。腕が点滴で痛いから。持ち上げられない。寝返りも打ちにくい(点滴してるから)。むさぼるように京極夏彦の「百器徒然袋 風」を読んだ。初の京極夏彦として正解なの?てゆうか、入院長引くことを想定しての分厚い本なの?妻よ!あと、村上春樹らの「東京するめクラブ・地球のはぐれ方」。あえてビジネス書を持ってこなかった妻の思慮深さに感謝したが、退院後話をすると「そんなこと考えてない」と一蹴!ナイッシュー!!地を這うロングシュートですね。

やまない夜中のナースコール

ナースコール、押すのがためらわれる。でも、点滴終わったら自動ではなかなか来てくれない。昼間ならあまり躊躇しないけど、夜中はどうしても遠慮しちゃう。でも押さなきゃ、で「ぴんぽろぱーん」と鳴るナースコール。「どうしました?」とベッドの上のスピーカーから聞こえる。「点滴がっ、」と言った時点で、「今から行きます」と即リプライ。

待てど暮らせど来ず、寝落ちしかける午前3時。三十分待ちぐらいで看護師さんが来て、点滴チェンジ。昔のウォーズマンなら試合続行不可能!

やまないナースコール。やまない雨はないがナースコールは鳴りやまない。すっかり目が覚めてしまいスマホをつけると画面が明るい。自分のベッドまわりだけ発光しているみたいになる。いかん、ルームメイトたちにに迷惑だ。スマホを閉じ、目をつむった。

空腹で羊を数えるとどうなるのか

空腹だった。入院初日:絶食・入院二日目:絶食、三日目の昼から残渣メシが食えるとのこと。この二日目から三日に以降する夜、ここが腹減りピーク。昼間寝すぎて寝られない。で、羊を数えてみた。20ぐらいから睡眠欲をサポートしてくれるはずの羊が、食欲を掻き立てる存在へと変わっていった。ラム肉は食べたことがない。でも、もう食べたいという欲が。

だいたい、昼メシの暴飲暴食も原因だろうに、食欲をどこかにしまい込まないとダメなのにな。この後の人生も「食欲」との戦いになると、入院時自覚した。本当にそのとおりだった。僕の第一次欲求ランクは、性欲<睡眠欲<食欲の不動の順位だ。

入院三日目で五分粥に出会う

記憶が定かではないが、たしか三日目の昼メシ。お粥。五分粥だったと思う。シャバシャバ。米もつぶれている。他に食べるものはない。粥のお湯的なあのトロッとした部分がうまい!

ちなみにお粥というのは奥が深くて「全粥・七分粥・五分粥・三分粥・重湯」とある。全粥が最強のお粥。お粥界の統治者だ。僕は重湯と三部粥をスキップして、選ばれし五分粥からのスタート。

魚の煮つけがメインおかず。辛いラーメンばかり食べていたから舌がバカになっているかとおもいきや、繊細な味がわかるわかる。復活したな俺の舌!おかえり、マイタン!

「うまーーーーーい」
これはうまかった。絶食していることもあったが、舌が完全にビンビンのセンシティブモードに。味の細かいところ深いところまでわかるというか。甘かった。粥がこんなにおいしいとは。喉を通り、胃に到達するのがわかる。消化してく感じが愛おしい。ゆっくり噛みしめるように、味わって食べたのを覚えている。この数年で一番おいしかったというと、妻に叱られるかもだがおいしかった。この「フレック ミルクプリン」が最強だった。味の素社って、こんなうまいもん作ってんの!?学校給食にも使われているみたいだけど、もう50のおじさんにとっては入院することがなければ食べることもなかっただろう。出会いに感謝!


日向夏ゼリーが憎い!これ小学校なら休んだ人の分プリントを届けるレベルのうまさだった。ジャンケンで争奪戦しては行けないうまさレベル!

夜も五分粥。ビーフシチューみたいなのがおかずだった。入院食用らしい。うまかった。とにかく何を食べてもうまいし・甘い。あの辛いインスタントラーメンばかり食べていた僕よ、ちょっとこっち来いと思った。

ナースコール早押しクイズ王との戦い

文句ばかり言ってる自営業のおじいさん。別の病院から転院してきたらしいが、食べ物の好みがうるさい。とにかく、看護師をすぐナースコールで呼ぶ。この四人部屋、ナースコール使いすぎよ。このおじいさんのせいで、我がルームは呼び出し回数フロアトップになってたかもしれない。もはや早押しクイズ王の世界!誰かに押される前に、まず自分が押して解答権を!みたいな。

病院食に感動し続けている頃、一方病院食に文句ばかりつけているおじいさんがいた。ナースコール早押しクイズ王だ(以降「早押し王」)しかも叫ぶ。これは食べられない、これは量を減らすように頼んでいた、あれは味付けが、と病院食カスタムを強めに要求。グフでもそこまでカスタムにしたら、ランバ・ラルに怒られる。

アレルギーやそもそもの症状にもよるので、カスタム自体はありだと思うが、まぁ、傍で聞いていてもワガママなのでは?と思うことが多かった。最後の方は栄養士呼べとなっていたから。で、栄養士来たから。流石、早押し王!確実に呼びこむ。

となりの痰つまりおじいさんと、オシッコ取ってほしいおじいさん、点滴変えてほしい僕、のナースコールがかき消される勢いだ。早押し王のクレームが終わるまで、ナースの手が空かない。こちらが先に押しても、横取りナースコールを発動させる。早押し王は病室入口に近いベッドなので、ナースが駆けてきたら、コッチ!と呼び込むのだ。ウナギ漁の罠のように、早押し王のそばに来たナースは出口を塞がれるのだ。

点滴してたら、シャワー不可と思っていた50の夏

そんなこんなで、入院四日目に差し掛かった日のこと。人間的なあることを忘れていたのに気付いた。「お風呂」だった。絶食終わりで普段通りを取り戻してきたが、点滴は終わることはなかった。シャワールームがあると聞いていたが、点滴をつけたままでどうやってシャワーを浴びるのだ!その疑問と、圧倒的な空腹から「お風呂」欲がゼロだった。

それがしかし、食欲が満たされ始めるとですな、「お風呂」なんてものが気になり始めるわけですよ。ナースコールではなく、フロアの看護師窓口で聞いてみた。早押し王対策である。すると、お風呂=シャワーに入るには、点滴を外してでっかい絆創膏みたいなのをすると。そうなの?あのガラガラもって、シャワーどうすんの?と思っていたけど、外すのね。

シャワーを使うには、30分単位で刻まれたシャワー使用リストに名前を書く。シャワールームは一人用だからだ。前後に他の入院患者と鉢合わせしたくない。特に、早押し王とは鉢合わせしたくないので彼の活動限界な夕方前に予約する。

久々のシャワー。備え付けのリンスインシャンプー。髪がガサガサになる。顔もゴワゴワ。脂分が抜け落ちる。腹の脂分もどんどん抜け落ちる。そう、脂の乗り切った(比喩じゃない)僕は、残渣メシでいい感じでやせていったのだ。

ラッキー!悪玉コレステロールの値が激下がりしてた

入院時は血管にアレコレぶっ刺すもんで、もう腕が痛い。血液検査の頻度も多い。血液検査で大腸の砂嵐情報を得るらしく、致し方なし。次第に数値も落ち着いてきていたが、一番驚いたのは悪玉コレステロールの値だった。僕は母方からの遺伝で脂質異常症。40を過ぎたころから健康診断で引っかかるように。母も祖母も妹もみんな脂質異常症。それに輪をかけての暴飲暴食してたから、地獄行きのデス豚ロードをアクセル踏みっぱなし、notチキンレース、yesポークレースだ!ぐらいの勢い。

で、この悪玉コレステロールの値が普段は160ぐらいあったんだけど、130ぐらいまで下がってた。もう少しで基準値だった。遺伝ってことで諦めて、アトルバスタチンを飲むのもためらっていたんだけど(なんか合わないから+死ぬまで飲むのもなんだか嫌だったから)、食生活で改善できんじゃん!というのが最大の気づき。食生活改善が体に与える影響大ってことはわかっていたけど、実感できると大きい。

入院8日目の朝に退院、支払いどうする!

退院日は突然に!7日目の朝に、「明日退院できるよ」と主治医。妻に連絡!既読にならない。ようやく既読になる。明日は仕事ということで、退院に付き添うことはできないと聞いていたが、妻にミッションを伝えねばならなかった。それは、支払いだ。

「限度額適用認定証」ってのがある。入院時に看護事務のお姉さんに聞かされた。僕はフリーランスで、国民健康保険の人なので市役所に行ってこの「限度額適用認定証」をもらってきてと。退院が7月22日だった。高額医療になるから、この認定証は必須。退院の会計時にないと、先払いしてあとで返金みたいな面倒なことに。(※調べると、窓口での支払額は自己負担限度額で87,430円までにとどめられるとのこと)

たいてい入院する人は、事故以外は準備しているらしいと。で、妻にこの「限度額適用認定証」を市役所に行ってもらってくるようにお願いした。退院に付き添わなくていいから、退院までにコレを持ってくるのだと伝えた。

限度額適用認定書ゲットだが、それはトラップだ!

退院の日、妻は朝から市役所へ。私は昼過ぎに退院。それまでに「限度額適用認定証」を持ってくればヨシ!市役所にいる妻から写真が届いた。初めて見るが、緑色のデッカイなんか昔の保険証みたいなもの。「よくやった妻よ」ねぎらいの返事をしようとしたその時、胸騒ぎが。写真をクリック・拡大。妻がもらってきたのは8月からの「限度額適用認定証」だ。期日をチェックしたのだ。

実は「限度額適用認定証」とやらは、有効期限がある。期限は申請した月の1日から、その年の7月31日まで。8月1日以降の退院の場合は、次年度のものを使う。

だが、僕が退院するのは7月22日!だから今年度の分の「限度額適用認定証」が必要だった。が、妻がもらってきたのは次年度からの8月1日からのものだった。

大急ぎで妻に連絡!事情を説明して、市役所窓口で再交付。その足で病院に来てくれた。感謝。ありがとう、妻。ミッションはコンプリートだ。同室メンバーで残っているのは早押し王だけだった。みんな、退院した。さらば、無敵の早押し王!奥さんに怒られたらええねん、と念を送った。

退院してから、生命保険を使うか問題

無事退院し、8万近くの入院費用を支払った。で、問題は生命保険を使うかどうか。10年無事故特約で報奨金10万をもらえる特約が付いているが、10年になるまであと7年ぐらいあった。迷う。今出ていったお金とこれから入るお金。7年後=2029年の10万円は、今(当時)=2022年の入院費用の8万円と釣り合うのかも考えた。なんせ、仕事飛ばしてるし、これから再営業かけないととなっている。

で、目の前のお金が大切と相成ったわけだ。保険会社に電話で申請して、書類が届き送り返した。のちほど入金され、自己負担は4万ほどだった。なかなかの痛さだ。

即入院してよかったと思える日々

入院では家族と取引先に迷惑をかけた。病院もコロナ真っ盛りだったので、不摂生での入院なんてホント迷惑だっただろうに。というわけで、退院後は節制生活が始まった。チートデイは作る、でももう辛いものは食べない。とにかく、胃腸に優しい男を目指す。そう心に誓った。

退院して一カ月後、おしりからカメラで記念撮影。この話はまた別の機会に。とにかく、残渣メシを記念撮影3日前から始めて、撮影日はとにかく下剤の大量摂取。自宅で飲むのだが、これで昼からの撮影に行けるのか?病院にたどり着く前に、不名誉なニックネームがつけられないか?そんな想いとともに、迎えたのだった。

とにもかくにも、不調のサインは普段から見逃してはいけないし、不調になるようなこと・思い当たることがあれば改善することは必須だ。50歳をこえると食生活もきちんと見直す必要がある。「いつ死んでもいい」なんてうそぶいていたが、「健康な状態で死にたい」に変わった。できれば、老衰希望!神様、そこんとこよろしくお願い申し上げます。

(おわり)

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