見出し画像

G線上の私たち

食品衛生講習を受けて、細菌やウイルス、食中毒の恐ろしさについて学ぶ。「今日の夜は飲みに行ってしめ鯖を食べよう、カツオのたたきもいいな」と思っていた矢先、アニサキスは魚の中でも鯖やカツオに多いと教わる。プライベートで魚を食べるときは、もう、運しかないじゃないか。アニサキスを食べてしまったらしょうがない。でも相当痛いらしい。やっぱり食べるの控えようかな。

そんな風に思っていたのも束の間、夜、居酒屋で早速しめ鯖を注文する。やっぱりまちがいなく絶対においしい。

この日は珍しく、母と外で飲みに行く日だった。数年に一度あるかないかである。

月曜日なのに店内はほどほどに混んでおり、いつも空いている店内を思うと、安心なような、ちょっとざわつく気もするような。お店にとってはお金が落ちるのだから良いことなんだけど。人々はなぜか、示し合わしていないのにある時間に集中したり、逆に混んでいい時間に閑散としたり、もっと一定のペースであればいいのに、と客商売なら一度は思うような光景だった。

酒も入ったことで普段ならしないような、母のこれまでの人生の話を聞いた。もちろん、おおまかには知っているが、母が結婚も含めて4回苗字が変わっていることは初めて知った。

でもそうか。両親が離婚して再婚して、自分も結婚したらそうなる女性が多いのか。今さらなことに気付かされる。改姓クソめんどくさそう。「子どもの頃は親についていくしかないからね」。母がよく言う言葉で、我が家の抜本的な方針であることは骨身に染みている。

自分のルーツについて年々気になるところではあるが、父も母もそれぞれの両親が離婚しており、それぞれ父親の記憶がほとんどない。つまるところ、私は実の祖父たちと会ったことがない。イエ制度は父親の名字によるものが大きいから、ルーツを辿ることが困難だと思い知らされているところだった。

「さては、●●くん(父)と◆◆ちゃん(母)は若かりし頃、お互いの両親の離婚話で盛り上がっていたな。それで距離が縮まったんでしょ」と言うと、母は「覚えていない」と答える。そうだ、この人は大概のことは覚えていない。だから彼女が何度も口にすることは、相当に頭に刻み込まれている事柄なのだ。

食品衛生講習を受けたとき、O157についても言及があった。講師の先生は「子どもがO157にかかると、腎臓から最悪脳に炎症がまわり、命を取り留めたとしても、一生寝たきりになるケースもある」と話していた。

兄の話になった。兄は3歳の頃にO157にかかり、生死を彷徨った。原因は不明だった。口に入れた何かしらの食品に付着していたのかもしれないし、おしゃぶりがやめられなかった兄の指先に付いてしまっていたのかもしれない。当時はもっと、社会のいろんなことが杜撰だっただろうし。幸い腎臓を一つ失うだけで、五体満足のまま帰ってきた。

ただなんというか、兄の人生を思うと、このO157のときの後遺症が、環境含めずっとあったのではないかと思った。兄はこのあと過保護に育てられながら、全く違うタイプの人間である父親に厳しく当たられていくことになる。過保護に育てられたが、心情を吐露する場所はどこにも作れなかった。たぶん、死ぬまで。自分が何かをやり遂げられる人間だと信じることができないまま死んでしまった。何事も最初から諦めていた。

母は「3歳のときにY(兄)が死んでいたら、あんた産まれてないからね。だって子ども産んですぐそんなの、悲しすぎて次産む気にならないでしょ」と呟いた。私はそれを聞いて勝手に涙が流れた。兄の命の延長線上に私がいる。それは今後一生、変わることはないのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?