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空が広くて、海はそこにあり

海がちかい街に引っ越して、四か月。
自宅から自転車で二十分の距離に海があるので、人によっては「近い」というより「行ける」距離かもしれません。
でも、圧倒的に前住んでいた処よりかは
海に顔を出すことが多くなりました。

彼とパンを浜辺で食べたり、
ひとりで夕方、海を見に行ったり。
この街はわたしたち人が「いる」という事実よりも、
空、雲、風、海が目前に「ある」という事実のほうが尊重されているように思います。

否応なく存在し、わたしたちが勝手にその美しさを享受している感覚、でしょうか。
ベランダからはだだっ広い空に、島のように浮かぶ雲の形、色の移り変わりが見えます。その雲の輪郭を見よう、もっと見ようと目を凝らしても、掴みどころのない曖昧な線がもどかしくも、その曖昧さと、もどかしさが美しさになるのかもしれません。
浜辺に行けば、止まることを知らない波が、白いレース状のような泡を引き連れてやってきます。そして夕暮れ時には黄色いひかりの道を沖に作り、背景の夕空と合わさると、「何事も、なんとかなるのかな」という気にさせてくれるのです。

この間、夕暮れ時に海へ寄ったら、
みんな揃って、海と夕暮れの空を写真に収めていました。
赤、黄色、橙、水色、白といった色たちが
雲を下から染め上げます。
日が沈むのに、それはなにかが誕生しそうな、
そんなあたたかさを感じる色でした。

なにかを見て、「美しい」と感じ、
目に焼き付けるにしろ、言葉にしろ、写真にしろ、それを何かで残しておきたいと思えるのは、幸せで素晴らしいことだと感じます。

この街に引っ越してよかったと思うのは、
空と海があること、ひかりが溢れ、風自身が心地よさそうに吹くこと。
行き詰っていると感じるときも、そうでないときも、
心をほぐして、息を吐いて、ふかく吸うことの大切さを
教えてくれなくても、教えてくれること。

ここに住んでいる人たちそれぞれが、
何を考えているのかわかりません。
でも、浜辺に来たり、散歩をしている人を見かけるたびに
肌で感じる自然に、心をゆるめているんじゃないのかな、と思わずにはいられません。

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