見出し画像

友達

先週、駅から会社までの道中、おしろい花を見つけました。
それを見ていると、懐かしい気持ちになります。
小学生の頃、友達と学校の帰り道や、習い事の帰り道に
おしろい花の種を潰して、ごくわずかなおしろいを、
頬っぺたや、おでこにつけて、笑った思い出があります。

そのうちの何人かとは、タイムカプセルも埋めました。
二十歳になったら一緒に開けようと言って、
公園やら、家の裏やらに、缶を埋めて。その中に手紙や、集めていたシールなんかも入れて。

でも、結局、その子たちとタイムカプセルを開けることはなく、
そんなこともあったとは、最近まで忘れていました。
あの頃、大人になってもずっと友達だと、本気で信じていて、
会わなくなるなんて、思っていませんでした。
自分たちの見えている世界が全てであり、
その中での友情が何よりも大きかった、あの時代。

それぞれ、別々のコミュニティを見つけて、
色々な人に会い、小学生の頃の自分とは同じではいられなくなりました。
それが悪いとかではなく、
ふと、みんなそれぞれ、昔の友達も、元気にやってくれていたらいいなと、思ったのです。

今、わたしが会う友達と言えば、
大学時代の友達や、時折高校時代の友達。
友達の数が多いわたしではないし、
どちらかといえば一人で行動することを好みますが、
それでもやはり、友達とご飯を食べて、笑うということを求める自分がいます。

それは友達が、わたしとは別のものを見て、
別の場所で働き、別の人と恋愛をしてきたという、
全く別々の人間同士だけれど、
その別々の人間同士の笑い声が重なり合うというのが、
自分の心を軽やかにしてくれる、居心地のよいものだから。

昨日も、久しぶりに友達と街でランチをしました。
一人で食事をしていれば、周りの大声や笑い声が耳障りになったのかもしれませんが、
友達といれば、あまり気にならず、一種のBGMに聞こえました。
わたしたちのテーブルからも笑い声が飛び出て、
香ばしい肉の匂いには、笑い声がよく合います。

食事が終わり、次の目的地へと、
表参道の街路樹の木漏れ日の中を友人たちと歩きます。
大学で出会った彼女たちと、今もこうやって、
会ってご飯を食べて、一緒に歩けるのは不思議な心地。
じっとりとした蒸し暑さの中、
「はあ、暑いね」
「バス停どこだ」
「あ、あそこだ」
と話して、またバスの中でも小声で話して笑って。

バスの窓から知らない人たちが歩いているのを見えて、ふっと、
小学校時代の友達の顔が浮かびました。
今もどこかで、その子たちも、わたしと同じように
友達と会って、心が軽くなっているのかもしれないと思い、
夏の雲の、眩しい白さに、心がさらに緩められます。

この記事が参加している募集

夏の思い出

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?