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『湯を沸かすほどの熱い愛』で今さら考えた”無償の愛”のこと(ネタバレ)

生理中は無駄にセンシティヴになる。
誰かに会いたいのに会うのが面倒、会ってつまらなかったらイヤだな…なんて考えているうちに思考が陰る。

『湯を沸かすほどの熱い愛』は、上映当初から気になっていたのに、なぜかここまで見ずに生きてきてしまった。もっと早く見ればよかった。
あまりにも人から勧められまくるので、生理なのをいいことに、布団から起き上がれないことの言い訳に、鑑賞した。しかもAmazonのプライム・ビデオ。なんていい時代なんだ。

『湯を沸かすほどの熱い愛』のあらすじ

ストーリーの中心にいるのは、銭湯を営む「幸野家」という家族。しかし、父が1年前にフラリと失踪したせいで銭湯は休業状態だった。
幸野家を支える母・双葉は、明るく強い日本の母。父のいなくなった1年間、パートをしながら女手一つで娘・安澄を育てていた。

しかし、ある日突然、双葉は末期ガンで余命2ヵ月という宣告を受けてしまう。

娘・安澄は学校でいじめを受けていた。母はそんな安澄に気づいているも、「自分がいなくなっても娘が一人でしっかり生きていけるよう」、これまで以上に娘に厳しく、そして優しく接します。

幸野家に取り巻く、「時が来たらきちんと言おうとしていた」様々な秘密。母・双葉の行動は、それまで隠してきた家族の秘密を取り去ることになる。

…とまあ、闘病系のお涙ちょうだいストーリーなのかな、と思うじゃないですか。
でもね、そんな簡単な映画じゃなかった。生理中のエゴイズムに浸りきった感傷なんて、「そんなことで悩んでいたのが恥ずかしい」くらい、号泣の2時間になってしまった。

血縁のない家族たちの、本当の愛のお話

結果的に映画は、「血縁」と「家族」が大きなキーワードとなってくる。
幸野家の母・双葉は幼少に母親から捨てられて育った。娘・安澄は双葉の子ではなく、双葉の前の初婚相手との間にできた子だった。
さらに、1年を経て家に帰ってきた父・浩一は浮気相手との連れ子を抱えており、腹違いの妹である鮎子も幸野家に住まうことになったのだ。
なんて家族なんだ、と思うが、幸野家はひとえに「母の努力」によって成り立っている家族だった。

双葉は旦那のいぬ間も、そんな溝を感じさせないように、娘・安澄にはいつも大きな愛を持って接した。突然の連れ子鮎子にも、すぐに「母として、家族として」居場所を与えた。
自分が余命2ヶ月と宣告されても、最後まで「家族のために」生き抜いた母の姿は、最後まで強かった。

「お母さんってすごい」、と気づくのは自分が大人になってからだ。
家事をして、外でも働き、夜は子どもが寝付くまで起きているのに、朝は一番に起きて家族を起こす。一番先に起きているのに、眠たそうな雰囲気など全く見せず、「早くご飯食べな」とテーブルにはおいしいごはんが並んでいる。
自由に一人で暮らすことに慣れてくると、人と一緒に暮らすことが面倒に思えてきたりする。自分で自分のことをやるだけだってできないのに、母は家族の分も全部、一人でやっていたんだ。

そう考えて、やっと気づくのだ。

お母さんって、すごい人だったんだな、と。

血のつながらない娘二人の前でも、双葉はいつでも母だった。血縁の有無など、全く関係なかった。娘・安澄は母のことを誇りに思っており、いつも強い母のことが大好きだった。旦那の浮気相手の連れ子という、人によっては「忌むべき存在」の鮎子にも、幸野家の一員として、自分の娘としての居場所を作った。

双葉自身、母の姿を見て育っていないというのに、双葉は完全な「日本の母」「良妻賢母」だった。

母に頼り切りだった家族が次第に繋がり、自立していく

そんな双葉に支えられ続けていた幸野家だったが、とうとう双葉のがんはどうしようもないところまで悪化していく。

母はそれでも、娘に厳しく接した。自分がいなくても、強く生きていけるように。
自分と娘が本当の家族ではないこと。自分の命が長くないこと。まだ思春期の娘も、現実を受け止めなければいけなくなった。

強く優しい母が、日に日に弱っていく様子を目の当たりにする娘・安澄。
泣き言一つ、涙一つ見せたことのなかった母が、弱り苦しみ、病魔の痛みに耐えかねて泣き叫ぶ様子を見ても、最後まで「お母ちゃんの前で、もう泣かない」と決め、笑顔を見せ続けた。

浮浪症の父も、「俺がみんなを支えるから…安心して…」と、泣きながら、歯を食いしばって妻の最後を見届けた。

ひとえに、母の愛が「湯を沸かすほど深かった」からなのだと思ってしまった。
よく、「見返りを求めない愛が、本当の愛だ」なんていうけれど…双葉の愛は、血縁も損得も関係なく、どこから湧き出てくるのかというほど深い「母の愛」だった。

「この人にはなんでもやってあげたいと思えるのは、この人からもっとたくさんのものをもらっていると思うからなのだろう」

作中に出てくるセリフの一つなんだけど、本当にそうなのだ。
与える者は、必ず返される。私はずっとそう思っている。

無償の愛を、私はきっと持ったことがない。いつだって、与えられたものを返そうとするのが精一杯だ。だから、自分からそれを「はい」と渡してくれる人のことを、本当に尊敬している。

血縁とか家族とか、関係なくて。その人の生き方次第なんだと考えさせられた。

あなたに、無償で愛せる人はいますか

私には、無償の愛を持てるな、という相手がいない。家族のことは大好きだが、これは愛をもらってきたから返そうとしているだけなのだ。

だから、私はもう一度「家族」を作りたいと、改めて思った。見送る側ではなく、見送られる側の家族を。

結婚願望は、あまりない。好きなことを仕事にし、一人で自由に生活するのは楽しい。でも、それが永遠に続くとは思っていない。だから、無償の愛をくれた、今いる大切な家族がいなくなってしまう前にーー私は、私が家族を作らなければ、生きる意味がわからなくなってしまうような気がしてる。

無償で人を愛せるのは、ある種才能だ。どんな風に生きたら、そんな人になれるのだろう。私はまだ利己的だし、我が身カワイイけど、いつかーー自分の子どもができた時は、自分が稼いだお金を惜しみなく、我が子や育ててくれた両親のために使って、自分のためではなく「人のために」時間を割ける人間になりたい、ナ。

あなたには、大好きな、「この人のためなら何でもできる」と思える人はいますか。そんな風に思える人と出会いたくて、私は今日も東京を生きている。

そういえば、きのこ帝国が主題歌だったんだね。曲は先に知ってたけど…映画を見てからのほうがしっくりきた。さすがです。


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