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全力疾走してないことへの罪悪感を感じるアラフォーワーママ


おはようございます。規律です。
先日のアラフィフおじさまとの会話で発見した、
「全力疾走していないことに罪悪感を感じている自分」。

この罪悪感の源泉は何なんだろう。。。
人生100%楽しみ尽くせていない気がする!!
そう思って気持ちを分解してみます。

全力疾走していないことへの罪悪感を分解

そもそもどんなシチュエーションで罪悪感を感じているのか?

夜のワンオペ時、ソファに座ってスマホでSNS見ているとき

まず目的もなくSNSを見ていることにただならぬ罪悪感を感じる。
【時間を浪費している罪悪感】

そして子供達が目の前にいるのに向き合えていないという罪悪感。
【子供の好奇心の種に水をまけていない罪悪感】

夫がいる時にスマホを持ち込んでゆっくりお風呂に入るとき

ゆっくりお風呂に入らせていただけることはとてもありがたいし、至福!
だが子供たちの様子が気になる。TVやゲーム漬けにされてないか。

そういや夫が子供達と向き合ってくれているなら罪悪感を感じない。
そうすると【子供の好奇心の種に水をまけていない罪悪感】に分類されそう。

子供達のお世話で、夜の会議に参加できないとき

代わりに参加してくださっている方に申し訳ない。
【お任せすることに対する罪悪感】

そしてリーダシップを発揮するチャンスを逃した気持ちがする。
【主体になれないことに対する罪悪感】


無意識に感じている罪悪感もありそうですがこの辺りに集約されそうです。
【1. 時間を浪費している罪悪感】

【2. 子供の好奇心の種に水をまけていない罪悪感】

【3. お任せすることに対する罪悪感】

【4. 主体になれないことに対する罪悪感】


ここから見えてくる私の価値観は?

【1. 時間を浪費している罪悪感】 と
【4. 主体になれないことに対する罪悪感】を組み合わせて考えると、
どうやら私は「人生という限られた時間を有意義に使いたい!!」という気持ちが強くあるみたいです。

自分の人生の舵は自分でとる!!そしてそうあれる人を増やしたい!!と
宣言して行動しているからこそ、
そこから外れた自分の行動にアラートが立っているよう。

そうであるならばこれは正しい罪悪感ともいえる。

余白があることは大事。

余白がある時にSNSで時間を溶かさず、好きな人の本を読んだり、
noteを読んだりして過ごそう。
夜の会議はどうしても参加できないこともあるので、別のチャンスでリーダシップを発揮しよう。


意外と自分の中でくすぶってると感じたのは【2. 子供の好奇心の種に水をまけていない罪悪感】。だって子供を見ていると可能性の塊!!
レゴで謎の物体を作っているときでさえ「うちの子は天才アーティストになるんだわ!!」と思ってしまうくらい親バカも入ること前提ですが。

好奇心の種は無限にあって、親からのアプローチで栄養や水を上げることによってmmでも可能性を広げてあげられる。

そういった価値観があるので、同じ空間にいるのに親はスマホ、子供はTVやゲームをして過ごすという時間が「浪費」にしか思えないのです。

一方でTVやゲームのお陰で親がホッと一息できる余白があることも事実。

TVやゲームと向き合うスタンスが夫と若干ずれていることもストレスなんだろうなぁ。これは一朝一夕に解決できる問題ではなさそう。

子育てにおいて救われる言葉

”自然にひらく”

これは保育園の玄関に飾ってある言葉。
子供達が通う保育園は家族経営の温かい保育園で、
この言葉は前代の園長先生が書道で書いたものらしい。

この言葉を見るたびに、「なんやかんや親が苦心してアプローチしなくとも子供は自然に育っていくよ」と語りかけてくれる気がする。

今日は日曜日。
親の余白と子供へのアプローチの両立について
良いバランスを見極めながら過ごそう。

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