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【自分軸】しょせんはサッカー

追記
一夜考えて投げ銭方式に変更

しょせんはサッカー。サポーターが自分の人生をサッカーに乗っけたとしてもなんら人生の状況は変わらない。自分の人生は自分自身が主役であり、他人が主役ではない。

勝っても負けても関係ない

人生の軸を自分自身に移した結果、チームが負けると怒りだす人に対して理解ができなくなった。たとえ応援するチームが勝っても負けてもサポーターでいる限り、自分の人生に一ミリも影響しないことがわかったからだ。

サポーターは身軽

もし、応援するチームが勝利してサポーターにも勝利給が配られるならば、お金が関わるため必死に応援する。また、チームを所有するクラブの株主やオーナーならば勝利すれば当然、ビジネスにも影響するため応援にも力が入る。

しかし、サポーターはチーム関係者のようでただ応援するだけの身。嫌になれば距離を置くことができる身軽さがある。その身軽さで得られるのは勝敗に関する感情の揺さぶりのみである。

勝っても人生は一向によくならない

サポーターは身軽。だからこそ、チームへ肩入れして自ら重荷を積むかのような行為は人生が辛くなる。それはグッズやシーズンチケット購入など金を積む行為でなく、より人生におけるチーム応援の割合を増やすことである。

その応援する割合をたとえ増やしたとしても、あなたの人生で得られるのは現実逃避のみである。他人に人生を乗っけたとしても年収がアップするでもなく、仕事の満足度が上がる訳でもない。

たとえチームが勝利しても、サポーターの人生がよくなることはない。得られるのは一時のカタルシスのみであり、現実から逃げているだけである。

しょせんはサッカー

では、自分の人生という現実に向き合うにはどうすべきか。それは、「しょせんはサッカー」と思うことである。人生におけるサッカーの重要度を下げることである。「しょせんはサッカー」のため、チームの成績降下などで嫌になったら離れることができる。

最も大事なのは自分の人生であって、他人の人生ではない。サッカー選手のプレーで勇気をもらい新たなチャレンジするのはよき。あくまでサッカーは自分の人生においてパスは与えるが、シュートはしてくれない。

ゴールを決めるシュートをするのはあくまで自分自身である。自分のために生きることが人生において最も重要である。

まとめ

サポーターがサッカーに人生を乗っけて自分の人生の主役を他人に渡してはならない。「しょせんはサッカー」なのだから。

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