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異形

夕暮れどき
お寺の門前で父と子がいい争っていた

(お父さん、どうしてそんな姿に)
(おまえにつべこべ言われたくはない)

ねずみ色の丸い生き物が
境内までの長い階段をずんずん跳ねていった

(バチが当たったんじゃろうか)

お寺が夕方の鐘を鳴らし始めると
父は堪えきれずに鳴咽した

(あんまり泣くと溶けてしまいますよ)
(いっそ、その方がよい)
(お父さん、もう帰りましょう)

息子は父親を髪の毛の中に仕舞うと
坂道を下りはじめた
誰かがどこかでラッパを鳴らしている
ふたりがすむ仮設の小屋は
街はずれの大きな木の上にあった

(わしを味噌汁の具にしてもいいんじゃぞ)
(バカなこといわないでください)
(きっと柔らかくてうまいぞ)

息子は顔を引きつらせながら笑った
笑ったあとに少し悲しい気分になり
窓から入る月の光を感じた

さて
妖怪変化の跳梁する時間が終わり
空が朝まだきのバラ色に染まっていく頃
息子はゆっくりと目覚め
あたりを見まわす
お腹がグーグー鳴った

(お父さん、どこに隠れているんですか)

あたりはしんとしていた
彼は梯子を降りて隣家に向かった

(ねえ、スナバア、オヤジを見なかった?)
(青池に行ったんじゃろう)
(なぜそんなところに)
(思いつめているようじゃったぞ)
(え?)
(まだわからんか。この親不孝者めが!)

彼はびっくりして森に向かった
青池はブナの原生林の中にある
海でもないのに真っ青な色に染まった
不思議な池だ
そこに小さな龍が一匹棲んでいた
歩いていくと妖気の深まりを感じる
やがて樹木の隙間に光が見えた
青池は神秘の色をたたえている
龍は眠っているようだった

(お父さん)

息子はささやくように呼びかける

(お父さん、お父さん)

父親は池のふちにいた
背中を震わせているようだった
今にも池にずり落ちそうになっているのを
あわてて掬いあげた
父はちょうど息子の掌にのる大きさだった

(お父さん、たとえどんな姿になっても、)
(何だ)
(お父さんはぼくのお父さんです)
(そうなのか)
(当たり前じゃないですか)

父親の大きな目玉が膨れ上がる
塩っぽいものが手のひらに溢れた

(さあ、こんな所にいないで帰りましょう)

小さな龍は眠っているふりをしていた
不自然に立派な髭をピクピクさせている

青池は神秘の色をたたえている

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