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第一の手紙の公開にあたって 〜叙事詩『月の鯨』序章(2)〜

あいつから最初の手紙が届いたのは、船が出航してから一年が過ぎた頃だった。手紙といってもその中身は私信なのか日記なのか、小説なのか、はたまた詩のようなものなのか、わけのわからない代物だった。そもそもあいつにまともな文章など書けるわけはないし、文字を知っていたというだけでも驚きだ。

案の定、手紙はほとんど解読不能だった。他の人間が読んでいたら、ただちにゴミ箱行きだったろう。だが、僕とあいつには宿命的なつながりがあった。僕らは同じ町で、同日・同時刻に、つまり同じ星の下に生まれたのである。

僕とあいつは全くタイプの違う人間だ。僕は学校では優等生だったし、あいつはほとんど学校に来ることもなかったけれど、あいつの感じていることや考えていることが僕にはよくわかった。ミミズののたくったような文字と支離滅裂な文章の中に詩情のようなものを感じたし、高度な哲学のようなものすら読み取れるような気がしたのだった。

僕は約3か月をかけて手紙を解読した。古代文字を解読するような繊細さとインチキ心理学者の精神分析みたいな妄想力を駆使して、あいつが紙に残した意味の痕跡を現代の言葉に置き換えていったのである。何しろ宇宙人の言葉を解読するようなものなので、相当な意訳をしているし、エゲツない脚色も入っている。だがこうでもしなければあいつの言わんとしていることを君らに伝えることはできないだろう。

後世の人間は僕の書いたものを荒唐無稽な創作だと思うかもしれない。だが断じてそのようなことはない。はっきりさせておくが、これから公開しようとしている記録は、我が国における国家神話創生プロジェクトに関わる第一級の資料である。原記録者はあくまでも我が相棒であり、僕はただそれを常人に理解可能な言葉に翻訳しただけだ。

あの日のことを思い出す。月が空の半分を占めるくらいに膨れ上がっていたあの日、船は出航した。オンボロ船かと思っていたが、意外に大きく、立派な船だった。国家の期待を担っているというのだから、それなりの資金を投入して造った船なのだろう。

船は汽笛を鳴らすと離岸し、まず時間をかけて方向転換した。次に方向が定まり、帆に風を受けて前方に進み始めると、もう一回長い汽笛を鳴らした。まるで月に向かって進んでいくように見えたその姿は、神話に登場する船みたいに神々しく思えたものだった。

(それにしてもあいつにアレを渡してしまったことだけが悔やまれる。あいつがあまりにも憔悴していたので、同情心から、秘蔵のアレをつい分け与えてしまったのだ。アレさえやらなければ、あいつがこんな暴挙に出ることはなかっただろう。もちろん、これから公開しようとしている貴重な記録が生まれることもなかっただろうから、結果的に何がよかったのかはよくわからない。)

僕は書斎のチェアに深く座り込むと、アレに火をつけ、吸い込んだ。月の光がカラダ中に染みわたっていく。僕はプカプカやりながら、「月の鯨」に呪われてしまっているのは他ならぬ僕自身なのでないかという思いにかられた。そして、あいつの手紙をくりかえし読みながら、その奇妙キテレツな筆記の中に浮かんでくる壮大な幻想の世界に巻き込まれていったのだった。

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