五歳になった長男と検診

六月に長男が五歳になりました。ちょうど誕生日の翌日が土曜日だったので、家族で面会しに行って来ました。相変わらず発語はなく、トイレで用を足すことは少しずつ覚えているそう。下着の履き心地を嫌い、すぐおむつに履き変えたがるようです。
公園に行くと、本当に猿やリスの子のようにあっという間に走っていって、更にすばしっこくなっていて驚きました。

また別の日に、長男の五歳児検診のために、施設の職員さんふたりと長男とでかかりつけ医のところへ来てくれました。
健康面は問題なかったですが(体重はかなり軽かったものの)五歳児検診ともなると、しりとりだとか、手のひらをうらおもてうらおもて…と上下にひっくり返したり、じゃんけんやけんけんぱ、なんていうものもあり、当然どれも出来ず、そりゃあそうだ、と、障害のない子はこんなこと楽々やってのけるのか、という思いとで打ちのめされました。こういう機会はいつもそうで、はじめから結果は分かっていても、最後にいただく書面を見るといちいち落ち込みます。
その日は合わせて予防接種もすることになっており、大泣きする長男を抱えて、もう終わったよ、大丈夫だよと慰めました。すこし落ち着くと、わたしからは見えませんでしたが、職員の方が、「すごく笑ってる」「こわな顔しないよね」と話していて、まがりなりにも母親に抱き締められて安心したんだなということと、少しばつの悪いような気持ちになりました。
長男を駅まで見送ると、次男も◯◯線乗る!と、電車に乗ると決めてかかっていて、違うよ、長男ちゃんを送るんだよと伝えました。
長男も電車が好きなので、改札を潜るとせかせかホームに向かっていました。
そういう姿を見ていると勝手なこととわかっていても、どうしても泣けてしまって、ホームへのエレベーターに乗るのを見て慌ててその場を立ち去りました。

わたしは長男に、知的な遅延があるとわかってからずっと出産を後悔し、自分のこれからの人生がどれだけ暗いものか考え、本当に消えてしまいたいほどつらかった。長男に対してこんな酷い気持ちを抱いているにもかかわらず、わたしに抱き締められると長男は嬉しいのか。わたしには喜んでもらう資格もないし、長男をひとりでたくさん頑張らせているのに。そういうことをたくさん考えました。
知的障害のある子供を産んで五年。自閉症の診断が下ったのは二歳の頃でしたが、知的にも遅れがあると断言されたのは三歳になってからです。薄々そうではないかと思い始めた頃から、何度も何度も絶望しましたが、色んな方の助けがあって、五歳まで健やかに生きてくれました。

本当に悔やんでいるのは、会話もままならないほど重たい障害を持って産まれてきてしまったこと。それは誰も悪くないと言われるけれど、わたしが子供を持たなければこの子がこんなふうに産まれることはなかった、というのも事実で。そんなことを言っても、なにひとつ変わるわけではない。でもやっぱり、わたしは五歳の長男に、たくさんごめんなさいを言いたくなってしまう。

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