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よるのがっこう③

【夜学のジャン・ヴァルジャン(3)】

『教職員の人事評価システム』の表向きの説明は、いわゆる一般企業と同じように、教職員の意欲や能力、実績を評価し給料に反映させることである。

都道府県によって段階は異なるが、「優秀・良好(標準)・努力が必要・かなりの努力が必要」、「A・B・C(標準)・D・E」など4〜5段階ほどである。

これだけを聞くとなんら違和感がないように思えるが、『教職員の人事評価システム』の真の狙いは、教育公務員全体の給料を下げることだ。

県にもよるが、決められた割合までしか「優秀」と評価をしてはいけない相対評価である。

少数しか評価されない「優秀」を除いた、他の段階に選ばれた教員は全員、翌年度から『教職員の人事評価システム』を導入する以前の給料水準より、給料の上昇幅が下がることになる。

なんの落ち度もない圧倒的多くの「標準」の段階を含む大多数の教員の給料が、以前の水準よりも知らず知らずのうちに下げられていくのだ。

もちろん、「努力が必要」、「かなりの努力が必要」などの評価を受けると、昇給が減ったり、昇給が無かったり、むしろ減額されたりする。

日本の経済が悪化しているから、公務員の給料が下がるのは当然だ!
とか、努力して一定の割合の中に入らない方が悪い!という意見を述べる人の気持ちは理解できる。

僕自身、どちらかといえば、そのような考え方に近い。それは、仕事量だけでいったら、確実にこの学校の上位に入っているからである。

しかし、僕が驚愕したのは、この『教職員の人事評価システム』の隠された部分にある。

ある日の放課後、教頭から頼まれていた、近隣住民や中学校の教員が参加する地域集会のための資料を作っていた。


参加予定者の確認のため教頭を探していたところ、校長室に入るのを見かけたという同僚が、急ぐ僕を助けてくれた。時間もなかったので、校長室近くで待つことにした。

すると、思いがけず、中から声が聞こえて来た。

「人事評価の件なんだけど、安西先生は【優秀】にはできないよ」

安西先生は、34歳で学年をまとめる学年主任をやっている。部活動・分掌の仕事も全力で取り組み、生徒・保護者・教員間の信頼も厚い。現在高校で、この年齢で学年主任を担うのは若い方だ。

「いや、暗黙の了解に過ぎないけど、号給、上がりすぎちゃうでしょ?」

僕には、なんのことだかわからなかったが、4月当初に研修で聞いた、教職員の給料システムに関することであることは明白だった。

後日、僕なりに自分の県の給料事情を調べてみた。

大学卒業すぐの教員は、僕の県の給料表では2級16号という給料体系でスタートする。(社会人経験や、年齢によって異なる)

1年に一度、教員は原則4号給分昇格するらしい。そして、『教職員の人事評価システム』で「優秀」に選ばれると、5〜6号給分昇格する。

しかし、同じ号給分の昇格でも、若手は給料が低く設定されている分、1号給ごとの上昇する金額が大きい。

例えば20代の若手なら、1号給昇格で月、4〜5000円変わる。しかし、50代になってくると、1号給昇格で月2〜300円しか変わらなくなる。

この事実を知った後、あの校長室での会話に当てはめると.....

各教員の仕事量や努力は無視して、号給の上昇幅の小さい年配の教員に偏って「優秀」と評価し、全体的に教育公務員の給料を下げようとしているのではないか。

『人事評価システム』とは名ばかりなもので、努力が報われる・評価されるまっとうなシステムではなく、教育公務員全体の給料を下げることに対する批判をかわすための、フェイクではないかと勘繰った。

この推測が事実ならば、僕は涙が出るほど悔しい。若手の給料が上がらないことを怒っているのではない。

教員の世界はサボった方が得をするシステムだ。

しかし、年齢に関係なく教育界全体で、この淀んだ空気にめげず、生徒たちのために全力で取り組んでいる教員は、どの学校にも少なからず存在する。
その、ひたむきに全身全霊をかけて仕事をする教員達に対して、「努力を評価する」と口では言っておいて、本当は各教員努力を無視して「号給の上昇率」だけを見ているのだとしたら、こんなにひどい話は無い。

管理職を信じたいが、1年も経過しないうちに、それができなくなっていた。
それは、彼らが常に気にかけているのは、学校現場の生徒や教員ではなくて、県(行政)から怒られないかである。
県(行政)に背くと、教頭なら出世・校長なら天下り先が危ぶまれる。また、校長の人事評価は県(行政)が行う。
故に、県(行政)の指示は絶対である。

『教職員の人事評価システム』で「優秀」を選ぶ基準について、県(行政)から明確な指示がなくても、管理職が県(行政)に「忖度」している可能性も考えてしまう。

僕は深いため息をつく。

その理由は、教員になって、一年も経たないうちに、こういう考え方にしか至らなくなってしまった自分自身にだと思う。

1日15時間、もう何連勤なのかさえわからなくなる日々が続く。

ひどく長い間、ここで強制労働をさせられている気がしていたが、ようやく1年が過ぎてくれた。


教員として2年目が始まった4月、私を含めた40代までの全ての若手が4号給分の昇格に留まった。

そして【標準】でしかなかった私の教員人生、いや、私自身の人生の大きな谷となり、深い傷を負うことになる悪夢の2年目が幕を開けたんだ。

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