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書くということを、読むことから考える。ブログがわたしを変えたこと。

どうも、スワンです。なんでスワンかって言うと苗字が白鳥だからです。都内でUIデザイナーをしています。

noteでこんにちわ。

ずっと前に、確かPCで会員登録して良さげな記事をたまーにチェックするぐらいだったのですが。自分が書くサービスに関わるようになったので改めて自分もいろんなサービスでも書いてみようって思いnoteを書いています。

noteは日本語のサービスなのに明朝体を惜しげなく使っていて、それがスタイリッシュだからとても好き。明朝体の日本語って、やっぱり美しいよね。

ちなみにこのあとmediumでも書いてみるつもりです。笑

それぞれで書く内容は変えていこうかな、と思っているのでnoteはデザイン以外の考えてることとか書いていこうと思います。

それでは第一回目。


書くということ、読むことから考えてみる。

去年くらいから、ゆるゆると自分のブログを書き始めています。月1くらいが限界だったんだけど、急に楽しくなって最近ちょっとしたブームになりつつある。

もともと"書く"って行為はすごく好きだった。読書感想文とか進んで作文用紙に10枚くらい書いてたし、青年の声明文みたいなやつで学年中の生徒の前でスピーチしたこともある。人の作文読むと、ここに句読点を足したほうが読みやすいのにってちょくちょく突っ込んでた。書く行為自体は、実は昔から好きだったんだなあと今、思い出しながらこの文を書いている。当時から自分の文章の読みやすさにはちょっとした自信もあった。

ところがだ、実はそんなわたしは幼少期にてんで本が読めなかった。今でこそ本は毎日のように読むし、Kindleには積ん読が溜まりまくっているほど読むことが好きだが、当時は知的に見せようと必死になってみたものの小学校6年間で10冊も図書館で借りれなかった気がする。

書くことが好き=読むことがすき

そんなイメージが個人的にあるのだが(小説家とか読んでは書いての繰り返しをしているし)自分は全くそんなことはなかった。ハリーポッターは3巻の32ページで挫折したし、小説もあんまり気に乗らなかった。今でこそ自分は小説より実用書の方が好きな傾向だ分かったが、小学生向けの実用書や自己啓発なんて当時はなかったから仕方ない(笑)

そんなこんなでろくに読まない学生時代を12年続けたわけだが、その間にこの書き好きが何度かブログを書こうと環境だけ整えたことがある。もともと好きなのだから、ちょっとしたドヤァを感じながら書き出すのだけれど、どれもこれも10記事も書かないうちにフェードアウトしてしまったのだ。離脱率は百発百中だった。

当時は、何で書けないんだろうってすごく疑問に思っていた。恥ずかしさとか、時間がなかったり(とか言って飲み会とかしまくってたんだけど)、とにかく書けなかった。展示やります、くらいの告知が精一杯で、今みたいに自分の考えとか何となく思ったことをブログにするなんて思ってもみなかったし、たぶん出来なかったのだ。

自分の中身が空っぽなのに、書くことなんてあるはずない

大学の後半からだ、本をすごく読むようになったのは。webの勉強を勝手に始めて、技術書を買うようになった。本の知識に味をしめたわたしはそのあと、大人ぶってマーケティングの本とかロジカルシンキングとかブランディングの戦略論とか、読みたい本をなけなしの金で読み漁った。半分は見栄だ。こんな本を読んでるわたし、おっとなー!と自分に酔いしれていた。でも、その内容には本当に興味があったは幸いだった。読めば読むほど、本を読むという行為が好きになった。自分の中に全く新しい考えや知識が、数百円から数千円で手に入るのだ。自分で考えてたらいっこも思いつかず死んでいったかもしれない。

でもその頃も、やっぱりブログが書けなかった。チョロチョロと書きたい欲はあってのだが、相変わらずまだ恥ずかしさが勝っていたように思う。そしてまだその頃は本を読んで、勢いよく首を縦にふるのが精一杯だった。その内容を噛み砕いて飲み込み、自分の腸の中で熟成させてまた戻す、なんて行為は到底できなかったのだ。頭の中身に、まだまだ余白があったように思う。

自分の言葉に責任を持つ

大学の4年間があっという間終わり、わたしは社会人になった。自分でも予想外だったが、趣味で始めたwebでしかもデザイナーとして働くことが決まったのだ。そこから、今思えば"書く"という行為が増えたように思う。

まず、うちの会社には日報制度があった。巷ではよくある制度だが、弊社では日報を全社員宛のアドレスに送る。同期から直属の上司から、なんと社長にまでそのメッセージは届く。社長が見ていたかは分からないが、ちょくちょく先輩から返信が来たりもしてちょっと楽しかった。

一応新卒は毎日日報を書くようにと言われていたので、何となく周りに合わせた書式で書いていたのだがそれではつまらないし退屈なのでどうせやるなら思いっきり変な日報を書いてやろうと思ったのが始まりだ。

当時、主流はデフォルトのフォントでその日のタスクを箇条書きしてその日に感じたことを2、3行書いて独り言。というのが一般的だった。他人から見て申し訳ないけれど、それはそれは超退屈な内容だった。同じチームならまだ話はわかるが、他部署から見て得るものはないに等しい。

なのでわたしは、仕事で感じた嬉しさや辛さ、困っていることから学んだことなどをちょっと感情的に書きなぐるように日報を書きました。まるでポエムみたいに。
ついでにみんなが自分の名前+日にち+日報ってお決まりのテンプレばかりだったので、わたしはちょっと目を引くような厨二っぽいタイトルを件名に、中身はhtml形式で明朝体をデカデカと使ったタイトル始まる日報を書き始めました(ちょうどこのnoteのように)

ぼた餅は取りにいくものです。

嗚呼、今見ると本当に恥ずかしい(笑)
こんな感じの日報が、「日報:山田太郎 10月10日」なんて中に並んだのだから思った以上に目立ったようです。
入社して大して知り合いもいないのに、要所要所でご挨拶するたびに「あ!あの明朝体の子だ!」と言われることがすごく増えました。その覚えられ方が良いのかは置いといて、すごく嬉しかったのです。自分のコンテンツが"読まれていて、覚えられている"ことに。

そして日報はもうひとつの効果をもたらしてくれました。

日報を送ることで、自分の言葉に責任を持たざる負えなくなった。

仕事でもそうですが「自分の意見はそんなに確信はないのですが…こうしたらいいんじゃないのかなーと。いや、いち個人のただの感覚なんですが!ぜんぜん、参考にならないのですが…」なんて言ってたら一向に仕事は進まないし、任せてももらえない。結果、楽しくない。間違っても思いつきでもいい。

私はこう思います、こうしたほうが良いです。

そう、声を大にして言わないといけない時期が来たのだ。言わないと、議論も何も始まらない。何も伝わらない。それは何が辛いって自分が1番辛いのだ。

会議でも日報でも、一通り恥をかいたら発信することが全然怖くなくなった。麻痺ったというか、発言すること自体のハードルは一気に下がった。自分の考えは間違っててもいい、気づいたら訂正すればいいのだから。話せばいい、じゃないと始まらないのだから。

そんなこんなで、仕事柄もあるが10回以上挫折してきたブログをまた始めた。最初こそちょっと戸惑ったが、手をつければするするとキーボードを叩き、ようやく油が乗ってきたのだ。いや、筆が走るという方が正しいのか。個人的に書くのは凄く体力が要るので当初の更新は月1が限界だったが、今はたかが外れたように書きまくり下書きには山ほどのネタが眠っている。

発信しないと、誰とも対話出来ない。黙っていてはスタートラインにすら立てていないことにみんな気づいて欲しい。別にブログじゃなくてもいい、メルマガでもtumblerでも、noteだってブログっていうよりひと味違う、ノートって感じがするけどそれでもいい。ラジオにお便りを出してもいいし社内報を発行してみるのもいいだろう。何でもいい、自分の考えをまとめて書くことをしてみてほしい。そしてまた誰かのブログを読んだり、本を読めばいい。読むのが先でもいいけど。

自分が思っている以上に、文字でも何でも、アウトプットは楽しいと声を大にして言いたい。こんなに官能的で気持ちいいことがこんな身近にあるよ!って伝えたい。そんなことが言えるようになったのも、ブログのおかけがなーと思ってます。
ちなみにこのnoteは、最近ブログ書くの楽しいなーそういや何でだろう、とりあえずブログにしてみるか!ってだけでお風呂で書き始めました。広げ過ぎましたね(笑)でもおかげでなんで自分が文章を書くのかスッキリしました。

そんなこんなで、noteを書いていたら今度は絵の具を弄りたくなってきた。わたしのアウトプット欲は幸い、当分は収まりそうにない。このまま、しばらく欲に溺れてみようかな。

みなさんも2016年、騙されたと思って何か書いてみてはいかがでしょうか?もしかすると虚しく1人で自慰するより、ずっと楽しいんじゃいかな!

それではまた。

読んでいただいただけで十分なのですが、いただいたサポートでまた誰かのnoteをサポートしようと思います。 言葉にする楽しさ、気持ちよさがもっと広まりますように🙃