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障害者でよかったこと

障害者でよかったことなんて、ひとつもない。
ここは地獄だ。健常だったらと思ったことは数え切れない。

でも、今日はあえて良かったことをひとつ。
細かくいうと、障害者であることに付随するよかったことである。それは、人よりもありがとうが言いやすいことだ。

障害者および社会的弱者であるがゆえに、人に助けて貰うことが多い。
まず、手続きが多い。マイナンバーカードは今のところ障害者手帳や福祉サービスの情報に紐づいていない。自立支援もそう。窓口で紙に文字を書くことが多々ある。対応してくださる職員さんに感謝が言える。
他にも、バスに乗るときや美術館などを利用する際には割引をしてもらう。これもいちいち手帳を提示する必要がある。対応してくれることに感謝である。
日常生活でも、出来ないことばかりだ。調べたりしても分からないときは人に聞く。人生で人に質問する回数、人より多いと思う。早口のひとの話は聞き取れないので、もう一度言ってもらったりする。電話に出られないから、メールで対応してもらう。沢山の対応してくれる方に感謝だ。
友達もそう、困った時に相談する。私のまわりは、聞いても嫌な顔せずに教えてくれたり、一緒に考えてくれる人がいる。友達に関して言えば、私はかなり恵まれていると思っている。友達多くないけど、みんなとっても尊敬している。いつもありがとうと思う。

合理的配慮がどうってやつ、もちろん推進されて欲しいと思う。車椅子の人が電車に乗る時に駅員さんがスロープをかける、道に点字ブロックを導入する、こういうのは障害がある人が生活をするために当然用意されるべきシステムだと思う。でも、それぞれ対応してくれる「人間」がいる。健常者も一緒だ、電車に乗れるのは鉄道会社の人がいるから、歩道も整備してくれた人がいるからだ。
身体障害者も精神障害者も、健常者と同等レベルで生活できるくらいの合理的配慮は進んでいない。残念ながら。
でもこれはチャンスなのである。障害者は、健常者よりお礼を言いやすいシステムになっている。人に「やってもらう」が見えやすい。
当たり前になって欲しいことはあるけど、してもらったことに関しては、しっかりお礼を言いたいと私は思う。健常者だって、鉄道会社の人に毎度お礼を言うのはシステム的に難しい気がするけど、感謝をしなくていいわけじゃない。特別扱いじゃなくても、社会的にやって貰って当然のことでも、やってくれた人には感謝をしたい。

優先席を必要とする人に席を譲るのは当然!って社会があったとしても、当然なのだから譲ってもらったらお礼を言わなくてもいいとは思わない。そこには譲ってくれた人がいる。もちろん、私が思うだけで他人にお礼を言うべきだ!とは思ってない。お礼の有無で相手がどう思うかは相手の問題で、お礼を言うかどうかは私の問題である。ありがとうを言いたいのは、私なりの筋である。
障害者の生活は、当たり前になってないことがよく見える。だから、お礼を言えるタイミングが沢山ある。

今日も、色んな人に言えた。障害者でよかった。
よくないけど、よかった。

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