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山岡鉄次物語 父母編6-4

《ふたりして4》新婚の旅

☆頼正と珠恵にも新婚旅行があった。

闇屋商売で行ったことのある茨城県には、頼正の父浪頼の兄が住んでいた。
頼正はこの伯父のツテを頼って、反物と交換で茨城県内の米を手に入れていたのだ。

頼正と珠恵の新婚旅行は水戸に居る頼正の伯父の家までの旅だった。
初めての2人っきりの旅は、それなりに楽しむことが出来た。

頼正と珠恵の旅の目的地は水戸だが、川や湖沼がたくさんある潮来に寄るのを予定にしていた。

潮来は茨城県と千葉県の県境にあり、3方を霞ヶ浦や北浦、利根川、いくつかの湖沼と川に囲まれた水郷地帯で、江戸時代には水運の中継地として栄えたところだ。

頼正と珠恵は櫓舟に乗って潮来観光を楽しんだ。桜が綺麗だった。
頼正たちが訪れた時は、アヤメの見頃の時期には早く、観光の人は少なかった。

潮来はアヤメの郷と云われ、アヤメが見頃を迎える5月下旬~6月下旬には、多くの見物客が押し寄せている。観光客を乗せた何隻もの櫓舟が行き交い、風情もあり、この時期がもっとも魅力的だ。

潮来を後にした頼正と珠恵は水戸を目指した。

頼正と珠恵は満開の桜が広がる水戸の偕楽園を訪れて、ゆったりした時間を過ごす。

日本3名園で有名な偕楽園は、江戸時代に水戸藩藩主徳川斉昭が造園したもので、園内には約100種類3千本の梅が植えられ、早春には梅の花が綺麗に咲きほこる。
広大な公園の四季は、春には桜、初夏には躑躅、真夏には竹林や杉林、秋には萩の花やモミジが見られる。
眼下に広がる千波湖を望む景観は絶景と云われている。
ちなみに日本3名園は他に金沢の兼六園、岡山の後楽園がある。

偕楽園を観光した後、2人は大洗海岸に向かった。
頼正は珠恵が海を見たいと言っていたのを思い出したのだ。
頼正は塩川に戻れば、大家族の嫁として大変な毎日が待っている珠恵のことを気づかったのだ。

大洗海岸は約1.2kmの広々とした白い砂と青松の海水浴場と大洗岬から続いている岩礁の眺めは素晴らしかった。
頼正と珠恵は打ち寄せる波を、長い間見つめていた。

伯父の家は、部屋が幾つもある年季の入った大きな家だ。頼正と珠恵は歓迎され、一晩ゆっくりお世話になった。


茨城は葉タバコの栽培が盛んな所だ。
ベーハ小屋という葉タバコを乾燥させる小屋も多数あった。

たくさんの乾燥した葉タバコを持って帰れば、お金になると頼正たちは閃いた。
タバコも統制されていて、葉タバコから手作りしたヤミのタバコが流通していたからだった。

頼正たちの新婚旅行はヤミ屋商売の旅となった。葉タバコは結構な収入になり旅費の元がとれた。


頼正と珠恵の新生活が始まった。

頼正の家には母屋と家畜小屋があった。母屋には新婚夫婦が使える部屋はなかった。
頼正と浪頼は父子で力を合わせて、家畜小屋を改造して、新婚夫婦の部屋を手作りした。

頼正の家では、長兄の頼長が戦死していたので頼正は長男代わりだった。珠恵は事実上の長男の嫁だった。

珠恵の嫁いだ時の頼正の家は12人の大家族になっていた。両親の他に妹や弟たちが多勢いたのだ。
頼正の下には19歳を先頭に一番下は3歳の幼児がいた。

珠恵はこの大家族のなかで上手くやっていけるのか不安になるのだった。


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