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記憶

トップ画像『命のはじまり』2015.8.21 父作



昨日実家に行った事を、夫に話した。

私、「じいさん(私の父)、終活してるわ笑」

夫「でも、絵をポストカードにしたいって思う事はええ事やと思うで。なんもせんとボーッとしてるよりええやん」

私「せやなぁ」

夫「でも、しろは絵描いたりせーへんのやなぁ」

私「描こうと思えば描くけど、今は違う感じ」

何気ない会話だった。


今朝、起きて、記憶が蘇った。

私が小学3年生の時、図工で、
『お父さん』を描きましょうという学習があった。

私の父は、大阪の下町で製版の仕事をしていた。
母の実家が営む製版屋に、若かりし父が就職した。
そこで、父と母は出会う。
10年前に廃業し、今は年金生活だ。

母の兄弟たちと、従業員、全部で
10人位の会社だった。

工場は、縦長になっていて、店の入り口を入れば小さい事務所。

その奥に、大きい機械や小さい機械、なんだかわからないがいろいろあった。
大きなアルミの板や、『ネガ』『ポジ』と書いてある紙が貼ってある。
機械からはいろんな色の光が出る。

二階は工場の一部と、住居スペースになっていた。

急な階段には、上から紐と鈴がぶら下がっていた。
紐の先には、洗濯ばさみがついていた。

製版フィルムを上から下ろすためのものだろう。
フィルムを下ろしたら、鈴をリンリンって鳴らす。
鈴が鳴れば、誰かがフィルムを取りにくる。
その光景が大好きだった。

三階も工場で、半分は屋上になっていた。

その工場の住居スペース以外の床は、
全面真っ青なペンキで塗ってある。

小学3年生の私は、父親がその工場で働いている姿を絵に描いた。

私にとっては、おばあちゃんの家だから
階段からそっと父の働く姿を見ながら絵に描いた。

従業員のおっちゃんが
「しろちゃん、きたんかぁ。お菓子食べるか?」
と構ってくれた。

自分でもうまくかけたと思った。
大きい機械の前で働く父は、いつもと違って凛々しかった。

先生に提出した絵が返ってきた。

裏に赤ペンで

「真面目にかこう△」

と書いてあった。

意味がわからなかった。
(なんで?)

床の青も、父も、機械も、そのまま描いた。
見たままかいた。

先生は、私の見たままはわからないよ。

先生を工場に連れてきて、一緒に絵を見て
機械を見せて説明したかった。

悲しかった。

悔しくて、悲しくて絵をぐちゃぐちゃに丸めて捨てた。
今思えば描かなくなったきっかけは、
先生の一言かもしれない。

記憶は、私を時々嫌な気持ちにさせる。

大人になり、ふと思い出した時に、苦しい気持ちになる。だからいつも、記憶に蓋をして忙しくして忘れたフリをする。

あの先生の一言はこうやって記事になるためのものだった。
そうに違いない。

そう思ったら、過去は一つずつ変えていける。

まだ小さかった私にいいたい。

『大丈夫やで!その経験は記事になるし、
悔しい気持ちはどこかへ飛んでいくから』






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