闇の螺旋階段を降りる――自己否定が悪影響を生み、それが新たな不安になる

はじめに

ヤミは闇でもあり病みでもある。

不安障害は、不安が生じる病だ。しかし不安は誰にでもある。生きれていれば必ずなんかしらの不安になる。不安障害と言われるのは、それが様々な悪影響を引き起こすからだ。

悪影響は明白だ。不安によって自分の行動が変わってしまう。不安障害にはさまざまな不安の対象がある。例えば電車に乗るのが怖い人は、電車に乗れなくなる。これは非常に深刻な悪影響だ。他にも、人前に立つのが怖い人は、人前に立てなくなる。接客の仕事などができなくなる。などなど。自分の場合は、生活においてよりも、仕事に関わる。仕事の人間関係が不安だったり、自分の仕事が人にどう評価されるのかが不安だ。そうすると、仕事が圧倒的にできなくなる。手につかなくなってしまう。

不安はどのようにして悪影響を引き起こすのだろうか。それが問題だ。不安は頭の中の出来事で、その悪影響は世界の出来事だ(私は頭の中以外のすべてを指し示したいときに「世界」という言葉を使っている。アメリカとか中国とかそういう意味の世界ではない)。

頭の中の出来事は、必ずしも世界に影響を与えない。チョコレートを思い浮かべても、チョコレートは出てこない。チョコレートが食べたいと思ったとしても、ソファから体を起こして戸棚に取りに行くとは限らない。ただ頭の中だけにとどめておけばいいだけた。

不安がどのようにして世界に対して影響を与えてしまうのか。この問題に対する今のところもっとも合点の行く答えは、ある本の中にあった。それは、『自信をもてないあなたへ――自分でできる認知行動療法』という本だ。ちなみにこの本はAmazon PrimeのPrime Readingで読める。アマプラの人なら追加料金がかからないので読んでみてほしい。

ヤミの螺旋階段:全体図

『自信をもてないあなたへ』によれば、不安が世界に対して影響を与えてしまうのは、頭の中の出来事と世界の出来事の間に悪循環ができるからだ。この悪循環を私は「ヤミの螺旋階段」と呼びたいと思う。中二病ぽくていいじゃない。

ヤミの螺旋階段は、頭の中に生じた否定的な予測が生活や仕事に問題を生じさせ、その問題がまた頭の中に不安として返ってくるという循環構造をうまく描いている。まずは、全体像を簡単に示そう。

不安を引き起こすような状況
    ↓
否定的な予測が浮かぶ
    ↓
不安による身体的な症状
    ↓
  有害な行動
    ↓
 最終結論の確認
    ↓
 自己批判的考え
    ↓
   抑うつ
    ↓
最終結論を呼び起こす
    ↓
否定的な予測が浮かぶ
 (以下同じ)

『自信をもてないあなたへ――自分でできる認知行動療法』第三章図3を筆者が改変したもの

言葉遣いは若干変更したが、だいたいあっているはずだ。簡単に言えば、うまく行かないんじゃないか、悪いことが起こるんじゃないかという予測が出てくると、それが身体症状や有害な行動を引き起こしてしまう。有害な行動の結果として否定的な予測が当たってしまい、自己批判を強め、抑うつ状態になり、自己否定に至る。自己否定は否定的な予測を引き起こしやすいから、循環の一番上に逆戻りしてしまう。

まさにあてはまっている

この循環を読んだ時、まさに自分に当てはまっていると感じた。それだけでなく、自分が感じていた疑問、なぜ頭の中の出来事にこんなにも苦しめられているのか、という疑問への答えを少し与えてくれたような気がした。

自分も仕事がほんの少し上手く行かなくなったときに、「否定的な予測」が頭から離れなくなってしまい、「身体的な症状」となって現れる。たとえば心拍数が高まったり、じっとしていることができなくなったり、胃がおかしくなったりする。

そういった身体的な症状と闘いながら、「有害な行動」にも走ってしまう。使える時間をすべて使って仕事をしなければと考える。休みを取らなかったり、パートナーと過ごす時間を犠牲にしたり、夜更かしをしたりする。ただし、身体的な症状があるので、時間をかける割に仕事は全くといっていいほど進まない。

そうすると、結果としての仕事の成果は非常に質の悪いものになる。メールを送らなければならないのに送っていない。文書を作成しなければならないのに、ほとんど作成していない。

悪いことに、時間をかけて、ものすごい労力を費やしたにもかかわらず、こうした非常に低い成果になってしまう。

不安障害を改善するためには、この螺旋階段のどこかを切断しなければならない。今後のこのノートでは、これを勝手に「不安障害の螺旋階段カット」(略して「カット」)と呼ぼうと思う。

カットは難しい。本物の螺旋階段は階段を一歩一歩時間を掛けてゆっくり降りていく。不安障害の螺旋階段はそうではない。不安を引き起こすような状況が起こったら、その瞬間に一気に一番下の最終結論の確認にまで急降下する。ステップ一つ一つを見つめ直さなければならないけれども、心のなかでステップを降りていくのはほんとに一瞬なのだ。

これは余談だけど、私は勝手に、心のなかに時間は流れていないと思っている。なにかに集中しているときは時間を忘れるのがその証拠だ。時間とは、あくまでも私たちが外の世界を感じ取る時に用いられる形式なのであって、この形式は私たち自身の心の働きには当てはめられないと思っている。

なんだかどこで終わりにさせればいいのかわからなくなったので、とりあえずいったんここでおしまい。突然のバイバイ。

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