死と時間の流れ

昔付き合っていた人が突然亡くなってしまい、お通夜へ行った。前職の同期だった人だった。同僚に会うのも9年ぶりくらい。新幹線で京都へ向かう。

30代で亡くなったので、遺影が若すぎる。棺の中の顔は安らかで、静かに横になっているだけのようで、明日火葬になり肉体が消えてしまうなんて信じられなかった。悲しそうなお母様の、早すぎますよね...という言葉に、言葉が返せなかった。

時勢柄、参列も時間を分けて分散して行われ、通夜振る舞いもない。椅子に座っている人はおらず、皆パラパラと立っている。誰が参列者で、誰が運営スタッフかもよくわからない。お焼香の列もなく、着いた人からお焼香をする感じなので、全く落ち着かない。ゆっくりと故人を偲ぶという感じでなく、こんなに気がそぞろなままお別れになってしまうのだろうかと思うと悲しくなった。

お焼香の時に少し見えた棺の中の顔を、もう少ししっかりと見てお別れをしたく、様子を見てもう一度棺の近くに立った。顔はとてもきれいで、懐かしかった。

10年ちかくたっているので、記憶がおぼろげだ。いつから付き合い始め、いつから同棲し、いつ別れたのかも、はっきりしない。この人と毎日寝て、起きて、ご飯を食べていた日々があったのだ、ということがとても不思議だった。

同棲した時に、一度だけ食事をした彼のご両親に挨拶をした。もう10年近く前のことで、ご両親の顔も思い出せなかったが、お父さんは彼にとても似ていた。別れてしまったことが後ろめたく、うまく伝えられなかったけれど、お父さんが笑顔で親しく話してくださるのが、とてもありがたかった。良くしてくれてありがとうというようなことを言ってくれ、私の体調のことまで気を配ってくれた。私は気の利いたことも言えず、しどろもどろで話をし、彼が描いてくれた絵をご両親に見せ、彼のことを一緒に偲んだ。

久しぶりに会う同期たちは、体型も変わり、マスクもしているので、誰が誰かなかなかわからない。共通の話題は、亡くなった彼のことだけだけど、皆なかなか言葉にならない。同期同士で結婚した2組のカップルの子どもたちが、楽しそうに走り回っているのだけが微笑ましい。

私たちも同期同士のカップルだった。何度も別れそうだった2組は結婚して子どもが生まれ、ほとんど喧嘩せずに仲良しだった私たちは別れてしまった。ここに、私たちの子どもがいた未来もあったのだろうかと、ふと思った。彼は独身のまま、亡くなってしまった。

同期は入社して12年。会社の中堅どころとして、皆とても立派になっているようだった。重要な仕事を任され、落ち着きと自信と貫禄があった。皆家族連れで帰る中、一人で帰るのは私と大阪に住むもう一人の同期だけで、ほとんど入社時にしか話したことがなかったその子が、駅まで送ってくれた。

いつも笑顔で関西弁で軽快に話すその子は、とても親切で、責任ある仕事を任され、偉くなっているようだったけど、12年前の入社時に、まだ初々しく、はしゃいでた時のその子と変わらない様子で、親しく話してくれた。

会社に適合できずに身体を壊して辞めてしまった私は、ずっと情けなくて、みんなに会うのも恥ずかしくて、ほとんど誰とも連絡を取れずにいた。

周囲から羨ましがられるような、人気の大企業を辞め、ほとんど知られていない小さな会社で、細々と働いていることを、元同僚から、気を遣われながら、今はどうしているの?と聞かれる時に、伝えるのを恥ずかしく思っている自分に気づいた。

今日もやっぱりそういう気持ちがあったけれど、入社時と変わらず、彼が親しく話してくれることが嬉しかった。

在籍当時の部署の先輩たちもいて、少し挨拶をした。尊敬していた先輩は、本当に親身に、優しく話しかけてくれた。尊敬していた上司は、相変わらず素敵だった。それでも、葬儀の運営側で、業務中ということもあり、ピリッとした雰囲気を漂わせていた。

そして、あぁ、私はこの雰囲気の中で働くプレッシャーに耐えられなかったのだということを改めて思い出した。ものすごい重圧を感じながら働いていた日々を、あらゆることに苛立ち、なによりも自分に苛立って過ごしていた日々を振り返った。いつもピリピリしていて、誰のことも大事にできず、愛せなかったあの頃。

同期たちは皆本当に良い子たちで、親切だった。一方で、彼らは大企業で長年勤めているらしい雰囲気を纏っていた。それは、今の私の生活やその周辺にはないものだった。

そこで働くことを誇りに思う気持ち。社会に大きなインパクトを与えているという自負。大きな会社で、大きく変わらない日常の中、閉塞感やプレッシャーを感じながらも、時間をかけて、とにかく時間をかけて、根気強く取り組むこと。

彼らは、名誉を感じながらも、どことなく重々しい。それは彼らが感じている閉塞感や、無力感のようなものと関係しているような気がした。

皆が纏う雰囲気には共通したものがあった。感情のひだが細やかだけど、長く引き伸ばされた凪のような感じ。その場の感情や勢いで衝動的に動くのではなく、あらゆることを受け止めて、受け止めて、やるせなさを感じながらも、コツコツと地道に取り組む姿勢。日々を愛せるユーモア。能力をパラメータ的に示すと、凸凹しておらず、満遍なく円に近い形を描くようなバランスの良さ。苦労しているが故に、皆とても気が利いて優しい。

12年もこの環境で働き続けている同期たちを見て、本当に遠い世界にきたのだなぁと感じた。こんなにも皆と遠く隔たってしまったことに悲しさもあるけれど、大切な人たちが周りにいる今、不適合だったことはみじめではなく、優劣でもなく、ようやく単なる性質の違い向きだったのだと思えた。

京都に連れてきてくれてありがとう。
つらい思い出ばかりの気がしていた当時を、それだけじゃなかったと思い出させてくれてありがとう。
今いる場所のありがたみと、過去に出会った人たちへの感謝を感じた。

そして、生きていても、10年ちかく連絡も取らずにいた人と、亡くなってしまった人とは、会っていないという意味ではどちらも同じだけれど、こんなにも違うものなのかと感じた。

振り返ってみても、棺の中にある肉体が、明日にはもうこの世になくなってしまうということが、本当に不思議で、自分が母親だったら耐え難いなと思った。

こんなにも眠っているだけのようなのに、きれいな顔をしているのに、いつまでもこのまま撫でていられればよいのに。

もう目を開いて、あの好きなものを見つめる時に子どものようにキラキラと光る目を見ることはないのだ。恥ずかしそうに笑ういつものあの笑顔を見ることもないのだ。どうしてあんなに傷つけてしまう形でしか別れられなかったのだろう。引き留められるかという予想とは裏腹に、拒絶されたことにただ傷つきながら、すぐに受け入れてくれた彼を思い出す。

目の前の人を、大切な人を、愛せる時に愛したいと思った。

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