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京都音楽博覧会に行って、音楽が自分を生かし続けてくれた奇跡にあらためて気が付いた。

京都音楽博覧会に行ってきました。
くるり主催の京都フェス、という事でくるりの音楽には学生時代からずっと心惹かれていたので前から興味はあったのですが、関東在住なもので遠征になるな~と思って遠巻きにそっと「楽しそうなイベントをされているなぁ」と見つめておりました。

そこに来て、2023年。
なんと京都音博に角野隼斗さんが出演されるというではないですか! これは神様がこれを機に行けと言っているに違いない。そうだ、間違いない、と渡りに船とばかりにウキウキで音博のチケットを取りました。


くるりを初めて聴いたのは、大学時代のこと。
なんて素敵なんだろうと思った。音楽を楽しんでやっている、そういう感じが凄くしたし、岸田繁さんの感性で紡がれる味わい深い言葉も大好きで、初めて聴いたときは、自分の中でまた新しい音楽の扉が開いた気がした。

どんどん話が横道に逸れますが、私がフェスの楽しさを最高に満喫していたのは大学時代でした。夏冬と大型フェスがあるので、必ず行く。するとまた新しいバンドや新しい音楽と出逢えたりするのが楽しくて。
知っているバンドでも、CDで聴いていたものよりライブの方がはるかに良いパフォーマンスをする事もあって(逆もしかり)、さらにそこから深くはまっていったりした。
ふと音楽誌のライターになればライブ行きたい放題だな、と思って、そもそも本が好きだし、言葉が好きだしっていうので現在の業種をぼんやりと視野に入れ始めたのもこの頃だった。勿論、音楽ライターにはなれなかったわけだけど、結果音楽を今も純粋に大好きなままいられているので仕事にしなくて良かったのかもしれないとも思う。

フェスでもくるりの存在感は特別なものだった。そのライブ空間にはくるりにしか出せない空気が満ちて、音楽が純粋に楽しくて、非日常じゃなくて日常の中でも隣にいて日々をくるりの色で、光で、彩ってくれるような、染め上げてくれるような、そんな素敵な音楽。

気付けば、働いて子どもが生まれてシングルになってなんかめっちゃ忙しくて、全然くるりのライブを観に行けていなかった。
そんな久しぶりの生くるり。
変わらずめちゃくちゃ素敵だった。何なら若い時の自分よりも今の自分の方がさらに音楽の奥深さと楽しみを知っている分、より楽しかった。
京都まで行ってよかったとしみじみ思った。
そしてまたこのフェスの在り方そのものが最高だなと思った。
街の中の公園で、地元の住民の皆さんに協力してもらってご理解いただいたうえでの開催、ごみの分別やリユースカップ・食器などの取り組み、衣類の回収リサイクル、岸田さんによるとコンポストもやっているとのこと。ほんとうに徹底している。
一夜の羽目外しでなく、持続的に日々を大切にする、そうあってこそずっと私たちは音楽を楽しみ続けられるんだ、そんな思いに満ちたフェスで、理念がきちんと細部まで実行されている所が本当に素敵だと思った。


フェス評論家みたいになってきました。すみません、話は戻ります。
ここまで偉そうに語っておきながら、私が会場に到着したのは本当に角野隼斗さんの演奏が始まる直前のタイミングでした。
はー、間に合った。あぶねー。まじで間一髪だった。という気持ちも角野さんの演奏が始まった途端にどっかに吹っ飛び、『英雄ポロネーズ』が響き渡る梅小路公園で、私は唐突に白昼夢を見ている気分になった。
目の前の光景が信じられず。
夢なら覚めないで欲しいと夢じゃないのに必死で思ってしまった。
それくらいフジロックを生で見ていない私にとっては、角野さんのフェス姿および生演奏は、現実感が宇宙のかなたに吹っ飛ぶくらい衝撃的で、垂涎ものの嬉しすぎる化学反応でしかなくて、破壊力と心の持っていかれ方が凄まじかった。

曇り空の下でも、野外でどこまでも飛んでいく角野隼斗さんの音があまりにも最高に気持ち良すぎて、雲を突きぬけてその上の青空まで届いてるだろうと思った。(時間的には夕暮れ空だったかもしれないけど)
いつもホールで席に座って物音立てないようなるべく身じろぎせず、全集中で一音一音聴いている角野隼斗さんの音楽を、こんな風にリラックスした空気の中で肌で全身で浴びて、五感で体感できるこの状況があまりに幸福すぎて、自由すぎて最高に幸せだった。

これ以降、あまりに夢みたいに幸せだったもので、記憶力が悲しいほどに低下しているためセトリが若干怪しいです。間違ってたらすみません。

もはやフェスの角野隼斗さんの挨拶代わりと言ってもいい、英ポロの次に何を弾くのかなと思ったら、なんとオリジナル楽曲の『大猫のワルツ』! 
角野さんの「実家に太った猫がいて~」という説明のくだりで会場に小さな笑いが起きて、そのあたたかな空気の中始まった演奏は、かてぃんさんの惜しみない愛猫たちへの愛情に満ちていて、しかも野外なのに音がめちゃくちゃ美しくて、本当に素敵な曲だな、かてぃんさんますます異常なほどにピアノが上手すぎるな、としみじみと再確認して感動してしまった。

そののち『胎動』。野外の環境のせいかグランドピアノの音はいつもより金属的に聴こえたような気がしたけど、その事を悪く感じられない程に演奏のクオリティーがもう凄くて。
さらには、この曲でここにいる人に角野隼斗というひとりのミュージシャンの音楽を知ってもらうのだ、という強い意志と覚悟を感じて、あくまで自分を貫いて挑む姿を目の当たりにした演奏でした。格好良かった!

次にアップライトピアノで弾いたのは『追憶』。
この音色がめちゃくちゃ素敵で、その光景まで瞼と脳裏に焼き付いている。天幕のような布(なのかな?)が舞台上部にいくつかあったのですが、そこに当たっている照明(かな?)が赤色で、まるで夕景のようだった。
黄昏のような舞台上で弾かれるアップライトの音色は、角野さんの心の片隅を覗くような、そっと内面の世界を見せてもらうような、そういう魅力に満ちていて絶対確実に心奪われた人が多数いたと思う。間違いなく確信する。

そののちアップライトのまま即興が入って、というか、この即興演奏が死ぬほどカッコ良かったのです!!!
少なく見積もっても3回は昇天したと思うほど、超絶にすさまじくカッコ良かった。内部奏法を取り入れながらのインプロ、これは本当に即興なのでしょうか……。そうとは到底思えん! 何か角野さんの中で作曲途中のものではないかという完成度と格好良さで、むしろこれを何とか完成して欲しいと思ってしまう位カッコよかった…。(何回カッコいい言うのか自分)

そこからのバッハ。むちゃくちゃ格好いいのだがどうしてくれよう!!!
この頃になるともうオーディエンスも「角野隼斗=クラシック+新しい魅力を融合する音楽」、「角野隼斗=クラシックベースだけどジャズテイストや不協和音も盛り込んだり、リズムもアレンジも変幻自在で、最高に格好良い音楽」ていうのが分かってきて、お行儀よく聴かなきゃいけない音楽じゃない、なんかこれ新しいぞ!って感じで、バッハなのに音楽に乗っているひとが沢山出てきていた。Reimagineツアーで角野さんが目指したものを今まさに目撃したようで嬉しかった。

そこから、グランドピアノに戻って「アイガットリズム」。もうここから角野隼斗無双タイムです。はー……カッコよかった!!!
ところどころ毎回アレンジ入れて変えて弾くのがもはや常になっているこの曲ですが、一昨日聴いたばかりなのに、また今日は違う印象になってる!
今日はフェス仕様だったのか、すみません音楽的な知識が少なすぎて言語化できないのですが、さらに踊りたい欲求が高まるようなリズミカルで軽快でそれでいてどんどん変化してくめくるめくアレンジで、そんな圧倒的な演奏のなかでも、音が一粒一粒凄まじく綺麗でうっとりほれぼれしてしまう場面もあり。
これが角野隼斗さんだぜ! どうだい、すげーだろ!! と関係者でもないのに鼻高々になってしまうほど素晴らしくカッコ良かったです。

その後、かな・・・? もう最後の曲だという角野さんのアナウンスに対して「ええーーっ!?」という惜しむ声が観客から上がる中(それについて「予想していなかったリアクションで」と嬉しそうに笑う角野さんがよかった…)、最後はなんと、くるりの『JUBILEE』でまさかの岸田繁さんと共演!
貴かったです。
私にとっては特別なスター同士の共演なので、演奏中のすべての一瞬一瞬が奇跡的で、大学時代にたくさんフェスやライブで見たくるりが、現在私が世界一大好きな特別なミュージシャンである角野隼斗さんと、時間を超えてつながるような、不思議な感覚に陥りました。ある種の奇跡を感じていました。
あぁ今まで生きててよかったー、と心から思いました。


唐突ですが、音楽は生きるよすがだと、改めて今日のフェスを体験して感じました。
私事になりますが、生い立ちにおいてずっと私は孤独感が強かったので、自分が生きる意味というか生きていくための希望のようなものが、薄くて。
仮名であっても自分の事をさらけ出すのは怖いな。これを本名で、自分の内面を創作物に込めて表現している、すべてのクリエイターには勇者の称号が与えられてしかるべきだと思う。凄く勇敢なことだ。本当に。

家庭の中にぜんぜん居場所がなかった。だから何だかずっと孤独だった。
誤解のないようにお伝えすると、両親には大変に感謝をしているし大好きなのだけど、もしもう一回小さい頃から人生をやり直せと言われたら、発狂して泣いてやめて欲しいと懇願する位には、かなり辛かった。

父も母も大変厳しいひとだった。
父に関しては、私が3歳の頃父が激怒して姉を殴って3メートル程ぶっ飛ばすという一件があり、その後も激昂すると拳や蹴りが飛んでくる事があり。
幼いながら「私が今生きてる家は安全な場所じゃないのだ」と常に警戒するようになった。父に殴られないよう怒らせないよう、常に過剰防衛で自分を隠すようになった。
母は姉の事が大好きすぎて基本的に姉中心な人で、私には興味が薄かったせいか、話しかけられること自体があまり少なかった。
母との関係性を強烈に表すエピソードがある。
大人になって私が流産したばかりで悲しみの中にいた時、母から元気出してねというメールに、なぜか姉の生後数か月の赤ちゃんの写真が、何枚も添付されて送られてきた。
さすがに辛くて「これは私を傷つけるためにわざと送ったんじゃないよね?」と恐る恐る電話で聞いたら、「お姉ちゃんの赤ちゃん可愛いから見たら元気が出るかなと思って」と母は行動を微塵も疑わない様子で答えた。
傷つける意図すらなく、ただ母なりの善意から、母のなかでいちばん元気が出る事をしただけで、息を吐くように私の事などはいつも通り尊重されず。
当たり前にそんな風に姉の事が常に母の中心にあった。
愛の反対は憎しみじゃない、無関心だ、それは真実だと思う。興味を持たれないことは存在そのものをこの世から消されているのと同じだから。

子どものときも、同じ食卓を四人で囲んでいるのに両親と姉だけがずっと会話していて、私は一言も会話に参加できないことがよくあった。そんなとき自分がほんとうに空気みたいだと思った。
姉は明るくて自己主張が強くて、幼い頃こそ両親とぶつかったりしたけれど、ずっと両親の注目と愛を浴び続けて、自己肯定感が強いひとになった。

私は自分に興味関心を持ってくれるひとがいない日常のなかで、逆らわなければ衣食住だけは確保された環境があって。
たまに両親からかけられる言葉はずっと「足りない」部分で。たとえば100点中98点だったら取れなかった2点を厳しく言及される、努力の過程は無意味でバッサリ切られて認めない、両親ともそんな感じで。
高校の時がマックスに辛くて、居場所がなくても家を出られなくて、だからといって暴力や圧力には逆らえなくて、自分って飼い殺しの家畜みたいだと心底思ってた。
毎晩帰宅しても、しばらくは外から家の洩れる光を眺めて。どうしてもどうしてもあの光のなかに帰りたくなくて、そのまま何十分も冬の寒空の下、家の近くの公園とか空き地とかで指先が氷みたいに限界になるまで天体観測をしてたりした。

あの頃。本当に生きる意味がわからなかった。毎日毎日、家族にも出せない声が辛くて、存在するのに存在しなくていいと言われているような空気みたいな自分が辛くて、本当消えたかった。
こんな自分を必要としてくれる人は世界中どこにもいないだろうなと思って、結果、私は自己否定感がめちゃくちゃにとてつもなく鋼のように強い人間になった。ついでに人をうまく信じる事もできなくなってしまった。

そんな私がどうして今まで生きてこれたのかといったら、音楽と本という心の拠り所があったからで。
とくに音楽は、ライブで生で聴くたびに自分が今ここに生きていることに、かけがえのない肯定感をくれた。音楽に演奏に、純粋に感動して心が動いている今の私が、そのときだけは何だかとても素敵なものに思えた。
だから、私にとって音楽は、ほんとうに本当の意味で生きる支えで、生きる意味で、特別なものであり続けてくれた。今までの人生でずっと。
(だからこそ突発性難聴になった時は相当に絶望したのですが……でも、それはもう乗り越えました。)

そんなふうにずっと生きる支えでありつづけてくれた音楽という存在への、ありがたみを、私を生かし続けてくれたことへの感謝を、今日の京都音博に行ってふと学生時代から今までを回想したとき、強く思ったのです。
今日このフェスに行って、いや、体調悪くて中々家から出られなくて、角野隼斗さんとくるりの2組だけで客観的に見ればほぼ聴けてないも同然なんだけど、それでも全然私にとっては違って。
私にとってはこの短い時間でも充分過ぎるくらいに、両手に抱えきれないくらいの幸福感をもらうことができて。
時空を超えて、学生時代も今日この時も、私を肯定し続けてくれる音楽やライブという空間が、そしてそんな幸福に満ち足りるような演奏をしてくれる私の大好きなミュージシャンたちが、本当に命の恩人のように大切な存在だなと強く実感して、感謝の気持ちで頭のてっぺんから足のつま先までいっぱいになった。

私を生かしてくれているのは、誇張でも大げさでもなく、角野隼斗さんを始めとする私の大好きなミュージシャン達で。
今はやっぱり何といっても、角野隼斗さんの音楽が私にとっていちばんの光で、生きていく肯定感や生きる支えになってくださっているなと思って、あらためて心から御礼を言いたいなと思いました。
素晴らしい音楽を、最高の演奏を、いつも本当にありがとうございます。


後半、めちゃくちゃ重い話になって胸焼けされていないでしょうか……。
若干心配ですが、ここまで読んでいただけた方には御礼を申し上げたいです。こんな色々とこじらせている人間ですが、音楽が好きという点では皆さまと全く同じ仲間ですので、温かい目で見守っていただけると幸いです。

とにもかくにも、今日「京都音楽博覧会」に行けてほんとうに良かった。
感慨深く思い出に残る一日になりました。
くるりさん、角野隼斗さんを呼んでくれてありがとう!!!
また観に行きたいです。

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