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学びの原動力

何度も語って、眺めて語りなおして
すこしずつ自分の物語のりんかくが見えてくる

10年前に母が亡くなったこと
母が楽しみにしていたコンサートの2日前
”優格観念”を持つが責任能力はある尊属の者の、
そいつのナラティブを補完するための、暴力の犠牲になったこと

私の育った家庭のこと
会社経営の父のこと
かわいかった弟たちのこと
のどかだった日々のこと
今考えると、哲学の正反対だった(つまり、「考えない」という姿勢を教える)、宗教のこと

音楽のこと
やさしく、ちからづよい
母方の、目が不自由だった祖父母のこと

勉強したこと、なぜなのか考えたこと、
学んだことを現場で実践したこと、
血が出ている傷口に塩水と砂をこすりつけているみたいな日々だった

くやしい、まだもっと、
果てしなく勉強しないと
もっともっと臨床もしないと
そこには「それらが仕事として成立している」という救いがある
(おかげで、そこに全活動時間を注げる)
だけどいまもまだ
物語ははっきりしたかたちを見せず
まだ終わってない、まだ流動的で
まだまだ語られなくてはならない、
同じことを量的に繰り返すのではなく
もっと洗練された方法を身に着けたい
そのために訓練して、学ばなければならない

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