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【気ままな読書日記】アリさんとキリギリス

楽しく働き、自由に生きるためのキリギリス思考法とは?
「勤労と貯蓄」を美徳としたイソップ寓話『アリとキリギリス』誕生から二千五百年。人工知能・ロボットをはじめとする技術発展や経済状況の変化によって、「価値あるもの」と「価値なきもの」が逆転する時代がやってきた。
そしてついに「怠け者」とされたキリギリスの「知性」が復権する!

書籍帯より

アリは『具象』、キリギリスは『抽象』。
誰もが知ってる有名な寓話のキャラを借りて、具象・抽象をわかりやすく説明しようという試み(たぶん)。

読者の誤解を招かぬように、かなり早い段階で(議論が本格的に進行してゆく前に)こんなかんじの心配りが。

もちろんすべての人がどちらかいずれかにぴったりとあてはまるわけではありません。また、同じ人でも、仕事はキリギリスで私生活ではアリであったり、専門領域ではアリだが、趣味の世界ではキリギリスであったり、というような「混在」はあたりまえに起こります。本書における「アリとキリギリス」の議論は、すべてそういう位置づけのものであるという前提でお読みください。

p.44

安易に人間を2色に分けてはならない。この議論ではそーゆうことがしたいわけじゃないんだ!という宣言です(たぶん)。
でもさ・・・・

アリとキリギリスがわかりあえない最大の理由は、両者の存在が「非対称」であるからです。つまり、「キリギリスからアリは見えるが、アリからキリギリスは見えない」ということです。正確に言えば、アリから見えるのはキリギリスの「ほんの一部だけ」です。

p.143

ってことはですよ?

キリギリス側にはいくらでも「混在」が起こり得そうですが、果たしてアリ側はどうか。キリギリスのように「いくらでも」とはいかんハズです。
アリから見えるのがキリギリスの「ほんの一部だけ」であるならば、アリ側の混在可能エリアはこの「ほんの一部だけ」ってことになんないか。
キリギリスは手持ちの全部が可能エリアなのに、アリさんのエリアはほんのチョッぴり。両者の間には結構な格差が生じてしまうのではと思わずにいられない。

こうなってくると、胸に留めておいたあの注意書きも威力逓減。
刺された釘がもう半部くらい抜けちゃってるような体感あり。

そもそもこのアリ(具体)とキリギリス(抽象)って構図はたしか、シリーズ前々作の『具体と抽象』では動物(具体)と人間(抽象)の配置でしたよね?

なんていうかーーーアリさんが不憫です。

そして最終章のテーマは『アリとキリギリスの共存は可能か』。

どちらが正しいか間違っているかということではなく、置かれた環境や与えられたミッションによって活躍できる場面が異なっているのです。
最終章では、どのようにすればアリとキリギリスがうまく共存し、お互いの長所を生かしながらよりよい世界を作っていけるかを考えてみましょう。

キリギリスになる方法が書かれているのではありません。
先生の解答は、スパっと『適材適所』でした。


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