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計14ヶ月の精神科入院

3ヶ月+11ヶ月の入院生活について書こうと思う。

2021年の夏頃、抑うつ状態になっていた。
いつからおかしかったのかは分からない。ただ「死ななければダメだ」という考えに駆られた。
この頃は大学に入学し、学生会館で過ごしていたが、人間関係で精神的に参り1人暮らしのアパートに引っ越した。5月の後半から調子が悪く、勉強が出来なくなって大学の相談員に話を聞いてもらっていた。

そして7月頃に一人暮らしのアパートへ引っ越す。引っ越して1人になった時は「自由だ〜!」という気持ちと開放感に包まれて、簡単なケーキを作った。その日から記憶がブツっと無くなっている。聞いた話とTwitterの履歴によると、ずっと希死念慮に襲われ好きだった自炊、ゲームも何もかも出来なくなっていて、好きなことを楽しめなくなった。この頃は未成年だったがお酒を買うようになり、頭がぼーっとしたまま身体が勝手に動き出した。生理のナプキンすら付け替えられなくなった頃、相談員が私に無断で親を呼んだ。この時にはほぼ寝たきりで、相談員はパニックになりながら親に連絡していたらしい。自傷もしていたと思うが、何を使っていたのかは全く覚えていない。ベルトなどで首を絞めていたのは覚えてる。

親が来たら何故か元気になっていた。そしてこの1週間後に精神科の新患で予約した。新患にしてはかなり早いが、大学が関連していたからだと思われる。元々予約してた病院もあったのだが、入院施設が無いからと相談員に勝手にキャンセルされた。
そして初診で即入院することに。「この診察が終わったら死にます」と先生に伝えたらしい。そして限りなく医療保護に近い任意入院。

1度目の入院
コロナ隔離か希死念慮が強かったからなのかは不明だが、保護室に1週間入れられた。診察時の記憶はほとんど無く、私にとっては説明無しの状態で保護室に入れられた。初めて眠剤を飲んで(本当に寝れるのかな…)と思ったら1分ほどで意識が飛んでびっくりしたのを覚えてる。
保護室ではトイレも丸見えで下着は脱がされ、夏なのに寒かった。スマホは触れたが、4日ほどでおかしくなり「ここはどこですか出してください」と泣きながら訴えたのを覚えてる。スプーンでご飯を食べていて「箸は無いんですか?」と聞いたら「この部屋箸禁止なの〜ごめんね💦」と謝られたが、看護師によっては渡してくれる人もいたため謎だった。

1週間経ち、大部屋に移動した…が、この記憶もほぼ無い。いつの間にかお金のかかる個室にいたり、暴れてたりしてたと思う。自傷跡の酷い人に抱きしめられたのと、今も繋がってる友達と話していた。閉鎖病棟で暇だった為、結構色々な人と交流していた。
保護室は常連で、何度も何度も頭を打ち付けたり暴れたり、首を絞めたりしていた。
途中から保護室に入りすぎたことがきっかけで医療保護入院に切り替わった。いつの間にか9月の後半でスマホも無く、急に意識を失ったり倒れたりすることが増えるようになっていたが、日付を意識してから自傷行動は落ち着いた。そして同年10月に退院する。

退院後
退院後は実家に帰った。しかし実家に帰ると自傷行動の再開。むしろ入院中に我慢した影響で悪化しており、この時の退院理由は「自傷する為」だった。先生に伝えたら退院出来ないと思った為言わなかった。
常に自傷道具を探していて、彫刻刀を出し腰を切る。腰→首→太もも→二の腕の順で切っていた。半袖だった為、見えるところは切らなかった。暴れたり髪をいきなり切り出したり、そして、遂に人格交代の症状が出た。1度目の入院から人格交代の症状は出ていたが、伝えられなかった。
気づいたら薬局、記憶が途切れ部屋にブロン60tが置かれてる、また記憶が途切れ夜になっていてブロン(30t)を飲み終えていた。
そう。飲んでい「た」なので、私が飲んだ記憶はほぼない。でも抵抗はなかった。(あぁ、飲んだんだ…)しか思わなかった。楽しかったのとふわふわした感じが癖になっていて、この時からブロンとリスカが辞められなくなった。
そしてあまりのテンションの高さでおかしくなった私は親にバレ、自傷道具を全て回収された。そしてまた同じ精神科にかかる。

2度目の受診の前に1度アパートに帰ったが、この時にナナは1度親の前に出ており、親を睨みつけて、テーブルに置かれていたお菓子を食べたのだが、それは私にとって嫌いな味(イチゴ味のビスコ)だった。それを美味しいと言いながら食べて、その後私が好きな辛いお菓子(私は辛党)を食べて不味いと怒っていたらしく、親は味覚変化に衝撃を受けていた。ちなみにビスコを選んだ理由は「ピンクが可愛かったから」らしい。
2度目の受診。何を話そうとしたかは覚えてない。話す最中に何も分からなくなると、脱力しナナが出た。親の話によると「ずっと先生を見ていた」という。先生はナナに「辛かったね」と声をかけたらしいが、ナナはピンと来ていなかった。「入院した方がいいよ」と言われ、ナナは「嫌だ」と答えると「医療保護入院だね」と言われる。ここで私に戻り「はぁ!?」と驚いた。

2度目の入院
2度目は本当にキツかった。最初はコロナ隔離で3日間保護室、その後1週間大部屋(1人)から出たらダメと言われた。スマホは使えなかった。ナナ以外に人格がどんどん増えていって手に負えなくなっていた。3日に1人のペースで増えていて、人格なのかIFなのかパーツなのか…何も分からなかった。ただただ自傷、暴れる、前の時は無かった看護師への暴力行為…そういう事件が後を絶たなかった。保護室に入る頻度は前よりも増えて、月に1度、酷い時は3回くらい入ったこともある。3時間〜5時間ほどぶっ通しで頭突きをして、それを止めに来た看護師の胸ぐらを掴み、先生の話も無視した事があるらしく、これで身体拘束を経験した。手首だけじゃなく腕も拘束された。身動きが本当に取れなくて1周まわって笑ってしまった。(拘束から抜け出す人凄いな…)とある意味感心した。

保護室常連でスマホの使用ルールを破った事(記憶なし)スマホを取り上げられたことがある。1度目でもあったそうだがこれも覚えてない…気付いたらスマホが無かった。
保護室に何度も入る生活で、遂に私は全てを諦め意識を手放した。人格に全てを任せて居なくなった。転院も考えたが出来なかった。
そして、人格たちの交代しながらの生活が始まる。ちなみにこれを看護師に伝えたら、何故か看護師判断で隔離されたらしい。これは本当に訳が分からず、人格交代のみに問題行動は起こしてなかった為、本当に疑問だった。

看護師に話したら隔離の手段しか取らないため、看護師より患者と話すようになった。患者の方が人格交代に理解があったし、隠さなくてよかったかららしい。(1度風呂で交代し、とある患者に「男の子と風呂入ってるー!」と叫ばれてからは本当に気をつけたとの事…)
5月頃に1度外泊をしたが、人格交代でお酒を飲んだりそれを知った別人格がパニックでODしたりと、中々に悲惨で途中帰宅。この1件から、一人暮らしの許可は下りなくなった。
保護室には定期的に入っていたが、外泊の許可の影響で任意に切り替わり、保護室に入る期間は短くなった。患者に「男の子か女の子かは何となく振る舞いで分かるよ」と言われびっくりした記憶がある。
OTはかなり楽しかった。書道をしたりアイロンビーズをしていた。心理検査(1度目の入院でかもしれないけど)でASDとADHDの診断がおりて、学生生活での悩み事が腑に落ちた感じがした。ショックではあったけど、1週間程で受け入れられた。

そして保護室を利用しながら退院準備を進める事に。病状は全く良くなっていなかったがGH側は受け入れてくれた。先生が絶対にGH以外認めない姿勢だった為、ひとり暮らしは諦めた。
2軒GHの見学に行ったがどちらも嫌で、人が見ているという感覚が拭えず怖かった。自傷を自由にできないのが嫌だった。
診察の時に絶対サビ管が付いてくるのも嫌で、自炊が禁止だったのも嫌だった。とにかく「嫌」この2文字に尽きた。
でも、GHに退院することが決まっていた。誰が進めたのか、もうよく分からない。

GHでの生活
GHでも暴れたり規約違反を犯したりしていて、よく今まで退去させられなかったな…と思う。訪看でさえストレスで、訪看の前は必ずと言っていいほどリスカかOD、酷い時は両方行っていた。デイケアは入院の時に出会った人と顔を合わせてその度にフラバした為、もう通えなくなった。
入居後にもかかわらず入退院を3回繰り返し、転院を決意するようになった。この頃にはご飯も食べられなくなり、食堂に行けなくなった。暴れることは減ったものの自傷が増えた。脱走、遁走、出先で倒れることも多くなり、日常生活が破綻していた。常に逃げたかった。

この毎日を繰り返すうちに、また私は表に出なくなり、1ヶ月は出なかった。
人格に振り回されるくらいなら最初から自我を持たない。消えた方が楽だ。と思うようになっていた。

そしてまた私が目を覚ました時は知らない病院だった。翔から色々説明を受けて飛び降りたことを知った。もう驚かなくなった。なんなら「死ねばよかったのに」と思っていた

飛び降りた日のことはここに。
ちなみにここに来てからは解離が根源ではなくPMDDが原因と言われていて、PMDDの治療をする事になっている。解離には薬が無いが、PMDDは薬の投与で落ち着く可能性が高いからとの事で。

4ヶ月以上ここに居るが、体調が悪いのを隠さなくて良くなった為、とても楽だと感じている。前の病院だと体調が悪くなり、生理で荒れると「みんなそうだ」と言われて怒られていて、頓服を貰うと看護師から注意されていた。それを隠す為に頑張って解離し暴れていた。

ここでは暴れる頻度はかなり減った。壁を殴らなくなった。物は投げつけてたけれど…うん。それでも来た時より今は落ち着けてる。このまま生活していきたいです。

精神科の入院について書きましたが

相性が合わないと、本当にありえないほど悪化する

という事を学びました。実際相性が合わなくて病状が悪化し、1週間で退院する人を何人も見てきました。私は医療保護入院だったので許可がおりませんでしたが…どうか皆さんが相性のいい病院と巡り会えますように。

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