最終号〜これまでのこと、これからのこと、何を伝えてきた活動なのか〜

最終号 ~これまでのこと、これからのこと 何を伝えてきた活動なのか~

一般社団法人 知ろう小児医療守ろう子ども達の会代表 阿真京子

会の実績については、理事が「歩み」をまとめてくれました。こちらです

【クレームではなく意見を 批判ではなく提案を】

この活動は、何を伝える活動だったのでしょうか。活動を始める前の時代、今から14~15年前のことです。

世の中には医師バッシングが吹き荒れていました。そして、そのあと少しすると、患者バッシングが始まりました。『コンビニ受診』批判です。若い親御さんは知らないかもしれませんね。

(母親学級でお話したときに、「まだ高校生でした!」と言われ、時の流れを感じました😊)

そのとき、「“子どもを守る”という目的が一緒なのに、こんなことしていて、良い世の中になるの?」という思いを持ちました。

「そのような世の中で子ども達を育てたいか」

「目的が一緒ならば、立場の違いをこえて、手を取り合うことが必要ではないか」と。

この活動においては、「手を取り合いたい!!!犯人探しをやめよう」と決めました。

いろんな活動やいろんな発言があって、それは自由です。他の活動についてなにか言うつもりはありません。

そうではなくて、何か問題があると思ったときに、「どこかが悪い」、「誰が悪い」、「何が悪い」と責めるのではなく「どうしたら良くなるか、一緒に考えよう」ということを行動に移した活動だったと思っています。

会のポリシーとして『クレームではなく意見を 批判ではなく提案を』ということを、掲げていました。

【立場を越えて分かり合うということ】

ここでもう一度、ふりだしに戻りましょう。誰かや、何かを責めたところで、世の中はよくなるのでしょうか?

これが、ちっとも良くならないのです。状況を改善するために必要なことは、いま目の前で起きていることをオープンにして、お互いの状況、気持ち、背景を知ること。

そしてその中で、ベスト(…は、難しくても)、ベターな道を探ることだと思うのです。

立場が異なると、想像することすら難しい面もあります。

でも、わからないときは聴く、というシンプルなことを、続けてきました。

解散の最終号を書いている今まさに、この新型コロナウイルス感染の渦中には、国や自治体、メディア、患者、医療者を糾弾する声があります。

13年前と、世の中は全く変わっていないのでしょうか。

そんなことは、ないと思います。

医療資源は有限だから大切にしよう、医療従事者に感謝を、という声もまた同じくらい聞くことができます。

また、情報の洪水に溺れるのではなく、多くの情報を受け取り合える世の中で、オープンにして知恵を絞ること、それは新しい時代だからこそ、できることではないでしょうか。

間違えていたら引き返したっていい。でも、明るい出口はないか、皆で探ることが必要だと思います。

黙って従え、ということではないのです。間違っていたら、間違っていると声を上げることはとても大切です。

ただ、それだけしていればいいかというと、そんなことはない。じゃあ、どうしたら良くなるか?

それこそ、私たち市民だから見えていることを、伝えなくてはいけないと思います。

そんなときこそ、クレームではなく正当な形で、と思うのです。

医療者にとって、また医療に詳しい方にとっては、一般の人(患者)が、正しいと思えない行動をとるときもあるでしょう。

そんなときこそ、立ち止まってほしいのです。なにか事情があるのではないか。

知らないだけ、状況がわかってないだけ、ということかもしれない。責める前に、自問してほしいのです。

また、私達患者も同じです。

医師や医療関係者が、どうしてそんなことを言うのか分からないときこそ、批判する前に立ち止まって考えたい、と思うのです。

どんな意図をもって言ったのか?真意は何か?と。

それは、立場の異なる相手と対峙するときこそ、求められることです。

医師と患者だけではありません、親と保育者、親と教師など、立場が異なるときこそ、相手の背景を想像し、率直に尋ねる、対話する。

理解しあえないこともあるでしょう。

でも、理解しあえたとき、とても強い絆で結ばれることがあります。

だって、みんな、みんな、子どもを守りたい人たちなのですから・・・。

【医療者と患者の新たなつながりを】

手を取り合った結果、どうなったでしょうか。医療者と患者の、新たな形を模索してきました。

患者も医療者も、心を開いて率直に語る。そこで、どれだけたくさんの、心通うお話を聴いたことでしょう。

学会に行政、企業とも、新たな関係を築き続けました。メディアからの多大な協力もいただきました。

それぞれの立場で、精一杯努力している人はいます。もちろん、全員がそうではない。

努力している人を無にすることがないように、なおかつ、善意がすれ違わないように、少しずつそこを埋めながら協力していくことが、どれだけ重要かと思います。

また、医療には、患者の、私たちの参画が必要だということ。

人の身体はひとりひとり違います。医療者任せにはせず、私たちがきちんと向き合ってこそ、よい診察、よい医療を受けられるのだと知りました。

「言わなくてもわかってもらえる」は、幻想です。また医療者にとっても「このくらいわかるでしょう」は、幻想です。

これから『上手な医療のかかり方』事業が本格的に始まると言っても、市民が医療について学べる取り組みはまだ始まったばかりです。

https://kakarikata.mhlw.go.jp/

そのような状況で、医療者が何年何十年もも学び培ってきた情報と、私達市民が理解できる情報の間には、いくら時代が進み、ネットから医療情報がとれるようになったとはいっても、大きな開き、隔たりがあるのです。

お互いに、違いを分かり合うことが必要だと思うのです。

医療に関わる中で、医療者にとっても患者にとっても、悲しいことが起きる時もあります。今の医療では治らない病気もあるし、予期せぬ死もあるかもしれない。

そうしたことを100%避けることは、残念ながら難しいでしょう。

できる限りの準備をしたら、あとは何かが起こった時に、どうするかを考える。

起きたことに、どう対処するか、それが大切だと思います。

ならないために、できることがあるならばやる。やるべきことをやったら、もうそれ以上追求しても仕方のないこと。

正解なのか、間違いではないのかを探すことに、注力するのではないということ。

【“正解”を探さないということ】

『医療を知る』、私たちの活動において身についた『正解を探す旅に出ない』ということは、子育てにおいても、どれほど役立っていることでしょう。

できる準備をしたら、もうあとは、その日その日を味わって生きること。

私自身、新型コロナウイルス感染が広がっている真っ只中で、最終号を書くようになるとは思ってもみなかったことです。

それほど先のことはわからない。だからこそ、一日一日を大切にするのだと、身をもって体験する日々です。

【最後に…】

これまで活動に参加してくれたたくさんの会員さん、協力医の皆さん、医療関係者の皆さん、行政、メディア、企業の皆様、本当にたくさんのたくさんの方が協力をしてくださいました。

一般の市民がひとりで始めた活動が、ここまで大きな実を結んだことは、皆さまのご協力の賜物です。

ご縁をつなぎ、紡いでくださったお陰です。感謝申し上げます。

腐らず、呆れず、活動の初期、中期、最終段階、それぞれでいつも伴走してくださった方々がいたからこそ、完走できました。

会を設立した当初から目標にしてきた『親になったら、子どもの医療について学ぶことが、どこでも誰でも、できるようになること』この目標を達成できたことに大きな喜びを感じています。

本当にありがとうございました。

とはいえ、数年後、万が一でも『医療のかかり方』が、全国に広まっていなかったら、ムクムクと復活して、また皆さんに応援をお願いすることも・・・?あるかもしれません(笑)

そうはならないことを、信じていますし、願っています!

これからも、まずは自分を取り巻く小さな世界から、ほんの少しずつでもより良くすること、そしてそれが、やがて大きな世界をも良くしていくことであると信じて、様々な問題と向き合い、行動していきたいと思います。

これまでのご協力に心からの感謝を込めて。

2020年4月15日  阿真京子

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