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『晩年感覚』 1太宰治 背中越しの晩年2/2

 象徴的なことに、『河童』には生まれた時にはすでに老人であり、次第に若返っていく河童が登場する。この河童が幸福そうに見えるのは、彼があらかじめ失われた部分との不均衡に耐えながら抑制した足取りでその喪失してくる部分に接近していくからにほかならない。喪失―断念―再発見の過程を経て見出される自分の生きる形、一度失ったものとして定義され、余剰の生として感受され玩味される個体の時間、これらの地盤となっているものが晩年感覚だ。この感覚を持っているもの経緯を追ってみると、その生きる形は迂回しているように見えるだろう。天体を観測しているときに気づく星の後戻りのように。だがそれは不可避のことでもある。死を一度経由することがわたしたちには必要なのだ。
 なぜならば、晩年感覚は芽生える契機を個体の時間感覚に負っている。不断に経過する時間を微細な分割として感じることのできる感覚。しかもその微かだが途切れなく鳴る時間の通過音が意味していくのは自分が老いていくことの膨大なリフレインなのだ。ではそのリフレインを甘受する先に発見できるものが何になるかといえば、ただの転がり横たわる個体的な死体ということになる。そのような死に我慢できない者は、一挙に個体の死がすなわち類の死であるような状況を措定することで辛うじて感情の均衡をとるだろう。
 晩年感覚のもう一つの契機は、生きる理由の欠如だ。生きる目的がないということだ。生きる目的は倫理的に必要なのではない。もっと実用上の必要から、つまり生きている個体の可塑性を収斂するための焦点として必要なのだ。
 わたしたちが理由のないまま世界に放り出され、地理的条件もただ与えられるままにそこに置かれていることに気づくと、何かしらにその無根拠性を変換したくなる。「私がなにゆえにここにいてあそこにいないのか、なにゆえに今いてあの時にいないのか」(パスカル)。この問いに答えることはできない。できないけれども思いやりの少ない友人のように問いはわたしたちを訪れる。しかたなくわたしたちは応接するのだが、そのやり方は非常に熱心さを欠くものでしかない。
 パスカルは神の存在に賭けてみる。救助としての死に賭けてみるのだ。しかしわたしたちには神は眠ったままだ。うまく揺り起こすことができることに賭けてみるだろうか。
 あるいは、わたしたちはただ民族の部分なのだと限定するか。共同体の破片として輪廻する成員のほうに賭けてみるか。そのためにはわたしたちは、自分が自分であることの頼りとしても用いてきた固有名詞を剥がされることの寒さに耐える防寒具を入手しておかなければならない。その着衣は村=国家=小宇宙の売店に行けば手に入るだろうか。だいいちそれは古着の臭いがするが、わたしたちはその臭いに耐えることができるだろうか。古着が嫌だとするならば、いよいよ昔流儀での変換に失敗したことになる。
 他の方法はないだろうか。神の拝殿へと続く道を歩むことと、民族の永続する皮膚の継ぎあてとしてリサイクルされる道のほかには。
いやいや、まだある。未来のユートピアを前提として、そこに至る過程としては現在があると考える方法がある。ただしこの投影図法の難点は、そこにどのような図形を描くかについて結論を下すまでに集団的な合意を経なければならないということだ。主張と討議を重ねる集団の場ならば、そういう戦いの場では戦う思想の方が優勢なのは明らかだ。紛糾すると予想される場に赴いて潔く劣勢の意見を主張するのが嫌ならば、わたしたちは再び個体的な営為として図形の作成にも腐心するしかない。だがこれは行為そのものが矛盾を孕んでいる。個体の生きる理由を個体の寿命を越えたところに想定するのは実際的ではない。
 このようにしてわたしたちは個体的な死体の傍らに再び佇んでいる。生きる理由なく生きることの無根拠性の薄い流氷に乗っているわたしたちを発見する。この地点が太宰治『晩年』作品集が書き始められた場所だ。

  死のうと思っていた。今年の正月、よそから着物を一反もらった。お
 年玉としてである。着物の布地は麻であった。鼠色のこまかい縞目が織
 りこめられていた。これは夏に着る着物であろう。夏まで生きていよう
 と思った。

 冒頭を飾る死ぬ意思は、しかし意思であって意志ではないというところに注目すべきだ。生きる理由のないところに死ぬ理由もありはしない。正確に記するなら、死んでみようかと思っていた、となるだろう。
死んでみようか。これといって楽しいことも起こりそうにないし、このままではじり貧の尻すぼみでお手上げになってしまう。惨めに生きていながら、それがただ生きているというだけのことで零よりましだとは考えられない。死は零やマイナスではない。それは生と惨めな生の境目にあるものだ。生きることに理由は必要ないけれども、資格が必要なのだ。資格がないままで生き延びようとすることこそが生きる執着だ。見苦しい、死以下だ。
 このように考えていることを理解しなければ、麻の着物一反が生きる理由となることが通じにくいだろう。逆に言えば、浮遊するように生きることを可能とするためには、生きる上でこのような貴族趣味が必須なのだ。この思想は、自殺を処世術みたいな打算的なものとしてみなすことにすぐに結びつく。なぜなら、この思想にとって自殺とは苦しみの放擲ではない。無資格のまま生きることに飽きた者が、自らの抹消と過失の過去の消去との清算を一方的に提案する方法だからだ。
 わたしたちにとってこの思想は、容易に認めることができるにもかかわらず特異なものである。死は観念的につねに予兆としてわたしたちを脅かすのに対して、彼の場合には死の場所が異なっているからだ。死はわたしたちにとって前方にある。そこにあるのは、時間的な差だ。だが彼の場合には、死は背中越しに接している。彼が死ぬには寝返りを一つ打つだけで十分なのだ。彼にとって晩年は先取りしてそこで現在の鮮度を上げるものではなく、彼がたゆたい育つ地盤である。
 だから、次のように概括することもできるだろう。太宰治のように生の無根拠に抗う場合には生きる理由との抗争が激化する。時間的な死に抗う作家の場合には孤独の概念との抗争が激化する。これを行っているのが二人の作家、大江健三郎と村上春樹である。

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