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Adolescentな声にふるえる

先週の学校の帰り、バス停でクラスメイトと共にバスを待っていると、ゆっくりとした足取りでカートを押しながらやってくる年配の女性がいた。
バス停には段差があり、とてもじゃないが1人では乗り越えるのは難しい様子だった。とっさに私たちは彼女に声を掛け、カートを持ち上げてベンチへと誘導した。
優しいわねぇ、と言いながらお婆さんの話がスタート。どうやら彼女はおしゃべり好きのようだ。しかし私の未熟な耳では彼女のかすれ声がうまく聞き取れず、クラスメイトに助けを求めながらなんとか会話を繋いだ。

そこのベンチにはもう1人、ティーンエイジャーとおぼしき女性もいて、彼女はなるべくこちらを見ないように目を伏せていた。
しかしそんなことはお構いなく、私たちとの会話がひと段落したお婆さんは彼女にも話しかけたのだった。
内心ヒヤヒヤした。もし無視されたり、冷たくあしらわれたらどうしよう。余計なお世話だが、気にせずにはいられない。
若い彼女は、冷たくもなく、だからといって楽しんでいるふうでもない返事をして、とりあえず会話は続いていた。

彼女が一言発した瞬間、私は思わず息を呑んだ。彼女の声の、なんと美しいこと!
子供っぽくもなく、大人の声でもない、青春期の透き通るような瑞々しさ溢れる声。
うまく説明出来ないけれど、何故だか感動してしまったのだった。

ちょうどこの日、英語の授業で聞いたadolescentという単語を思い出した。思春期から10代の終わり頃くらいまでの、多感な時期のこと。
この言葉を初めて知ったのは私の大好きなバンド、Arctic Monkeysの曲のタイトルだったっけ。そのころはまさしく私もadolescentな年頃だった。そのせいか、私にとってこの言葉のイメージはその意味と同じく瑞々しい。

バス停のあの子ほど美しくはなかったにしても、私も昔は今とは声色が違っただろう。
見た目と違って声の変化は自分では気付きづらい。でも確実に、私の声はもう若くはなく、やがてだんだんと年配の声になるのだ。

あの頃を懐かしみ、失った声を少し恋しく思うけれど、年齢を重ねて落ち着きを持ったこの声も、大切に想う。これからどんな声になっていくのか、楽しみにしていこう。

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