見出し画像

自分の見たい様に世の中を見ている

こんにちは。
RE:LIFEアドバイザーの蔀晋輔です。

先日のことです。

小学生の娘が友達の家族のお宅でお泊りをさせてもらいました。
お世話になり、ありがとうございました!という気持ちでいっぱいなのですが・・・・・
宿泊をした翌日の帰宅が21時くらいになり、20時過ぎくらいから私の感情がイライラ・ソワソワとし出していたのです。

普段なら友達の両親も一緒にいるので、何時になろうと気にはならないのですが・・・・・
その日は24時間以上お世話になっているので、そんな感情になってしまったのです。

私の中には、
翌日から外出しているので、夕食の時間までには帰宅すべき!
という自分の定めた基準があったのです。

まあ、そんな感情になった時に、そんな基準を設けている自分に気づいたのですが・・・・・

ここで自分の基準こそが正しいと信じて、
「私には常識があるが、娘の友達の両親には常識がない!」
「娘の友達の両親は非常識だ!」
と言い出すと争いにしかなりません。

その前に、誰かが悪いというものでもありませんし、犯人探しをしたい訳でもありません。

人それぞれが無意識に設定している常識の基準というものが、人それぞれで異なっているということなのです。
 
その基準を絶対として世の中を見ると、それが基準の世の中に見えるということです。
 

人はあるがままの世の中を見ているのではなく、
人は自分の見たい様に世の中を見ている。


ということなのです。

こんなこともありました。

ある人がお世話になったからと贈り物をしてくれました。
そのお礼として、日を改めて贈り物をすると、再びお礼の贈り物が届いたのです。
そのお礼にまた贈り物をすると、贈り物のイタチごっこになってしまうな~!
なんて思い、そのお礼の贈り物はしないことにしたのです。

まあ、お互いに五分と五分にしたいという心理も働いていましたし・・・・・

お互いに・・・・・借りがあるのは嫌だという気持ちもあるでしょうし、貸しを作っておくことで上の立場になり安心するという気持ちもあるでしょう。

ならば、借りを作っておくというのも悪くはないか!
そんな気持ちでした。

この様な日常にある些細な出来事ですが、
それを原因として人間関係を悪化させてしまっている人もいます。

自分は正しくて相手が間違い。
自分が被害者で相手が加害者。
そんなメガネで些細な出来事を見ているのです。

自分はどんなメガネを掛けているのか?
それをお互いに押し付けあうのではなく、認めあえる様になることで世の中が平和になっていく様に感じています。

個人と個人も、様々な団体や会社組織も、そして大きくは国と国も。
そこで起こっているいさかい事は、組織の大小は異なれど本質的なものは同じですから。

そんなことを朝目覚めた時から考えていました。

今日もあなたやあなたの周りの人、すべての人々が心豊かな時間を過ごせます様に!

気軽に意見や感想をいただければ嬉しいです。
synergy@bcc.bai.ne.jp

RE:LIFEワークショップのご紹介
https://synergy-ark.com/relife/index.html

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?