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本の海に揺蕩う

 図書館でアルバイトを初めて一年になる。

 規模の小さな図書館だけれど、一生かかっても読み切れない量の本がお行儀よく棚に並んでいて、未だに出勤するたびわくわくする。そんな棚の前を、今日もハンディモップを持って行ったり来たりしながら、背表紙から本の内容を想像する。わたしは想像の中で世界中を飛び回り、タイムマシンに乗り、自分でない自分になる。


 静かな図書館にはわたしを邪魔するものは何もない。心ゆくまで想像の世界を楽しみながら、棚にたまった埃を払う。

 一時間に一度、館内を巡回して利用人数や異常確認のためのチェック表を記入するという仕事がある。

 土曜日、昼下がり。ほとんど人はいない。

 静まり返った本棚と本棚の間をすり抜けながら、思い思いに過ごしている人々を眺める。そこにはゆったりとした時間だけが流れている。

  わたしは心の中で、図書館のことを 本の海、と呼んでいる。

 大きな本棚はまるでイソギンチャクのように深緑の背表紙をこちらに向け、静かにそこに立っている。本棚と本棚の間の狭い通路をかき分けるように歩く私は、クマノミ。ゆったり泳ぎながら、現実から想像の世界へ身を潜めている。
 厚い表紙の内側から、感情が、情報が、溢れ出して海をつくり、代わる代わるやってくる人々は魚のように泳ぎまわって自分の求める本を探す。


 そんな、本の海。


 今日もわたしはその広い海を泳ぎながら、海底に沈んだ古い宝石箱の中のお宝を見つけたかのように、目にとまった本を手に取る。いくつか抱えてカウンターに戻り、暇な時間にはそれを読んで、また一時間経てば海へ繰り出していく。


 昔から本が好きだったが、そんなに読んできた方ではなかった。当たり前に読書感想文は面倒だったし、たまに図書館に行って何冊も借りてきても、読めずに期限が来てしまうのがオチだった。かと思えば突然無性に読みたくなり、やらなければいけないテスト勉強はそっちのけで読み進めることもある。それが人生に影響を与えてくれる本になることも。時には主人公に感情移入しすぎて、一ページごとに深呼吸しなければ読み進められないことも。


 本とは適度に付き合っていくのがちょうどいいのだと、最近思う。
 読みたいときに、読みたい本を読むくらいでいい。わたしの文章も、気が向いたときに読んでくれる人がいたら嬉しい。人生、本の海で揺蕩うくらいがちょうどいい。


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