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音楽と生きていく

 盆地の夏は暑い。設定温度28度じゃ賄えない。コンビニから自転車を走らせ、セミの声から逃げるように坂を下っていく。

 アブラゼミか、ミンミンゼミか、ヒグラシか。短い寿命に抗うように、体いっぱい音を鳴らしている。わたしも背中にギターの存在を感じながら、セミの羽みたいだな、なんて思う。さっきまで爆音でかき鳴らしていたギターも、シールドを抜けばおとなしくなる。羽をうまく折りたたんで静かに収まった、重い重いギターケースを担ぎなおす。

 「欠席数が全体の3分の1を超えて、評価対象外になっています。救済措置が必要な方は~」
 1つ。2つ。3つ。4つ。ぎりぎり、留年は回避かな。後期はもう、一つも落とせない。教授への謝罪メールはもう慣れてしまった。落としそうな単位の数を数えて、その数だけ腕にカミソリを当てる。

 音楽を好きになったのはいつからだろうか。

 2010年、世は空前のアイドルブーム絶頂。CDの売り上げで行われる人気投票が新聞の見出しを飾り、街を歩けばどこもかしこも恋する男女の流行ポップス。7歳のわたしが憧れたのは、もちろん1位の、あの子だった。

 ショートカットにしたのも、赤チェックの服を選んだのも、テレビの向こうのきらきらしたあの子に近づきたくて。どろどろした空気を纏った人生で、パッションピンクの小さな音楽プレーヤーから聞こえるあの音が、きっとわたしのすべてだった。

 良くないことを覚えて、わたしは大人になっていった。きれいな白い腕に、赤い横線が何本も入って、一本消えていく頃には新しい線が引かれて、それを繰り返した。傷つけて消えていく苦しみもあれば、傷つけて消えなくなった苦しみもあって、わたしはわたしを嫌いになった。それでも、そこでしか自分を表現できなくて、泣きながら彫刻刀を握りしめていた。

 ぐちゃぐちゃの部屋には所狭しとアイドルのポスターが貼られ、両親は気味悪がっていた。「女の子が好きなんでしょ」と憐れんだような目で私を見る。今考えれば、知らない女性のポスターに囲まれ、傷だらけになって一日中寝ている娘を理解しようなんて無理な話だったんだと思う。わたしもわたしがわからなかったから。

 勇気を振り絞って出したSOSを、母は拒絶した。「親からもらった身体」。その言葉から逃げるように、わたしは音楽を聴いた。優しかった頃の母がくれた水色の音楽プレーヤーは、アイドルだらけのセットリストを永遠に流し続ける。
 夢から覚めてしまわないように。魔法が解けてしまわないように。耳が痛くなってもずっと聴いていたあの曲の歌詞を、今となっては一つも思い出せない。

 
 真っ白な天井を見て、耳にさしたイヤホンから流れる音楽に、14のわたしは何を思っていたんだろう。

 意気地なしのわたしに16度目の春が来る。パジャマを脱いで、バスに乗って、隣町の高校へと急ぐ日々。少しずつ日常が取り戻されていく。決まっていたかのように軽音楽部に入部し、ギターパートに立候補した。当時のわたしは、バンドの曲なんてほとんど知らない。どちらかと言うと、街で流れる流行りのバンド曲には飽き飽きしていた方だった。それでも、音楽を自分でやってみたい、音楽を届けてみたいと、心のどこかで思っていたんだろう。ショッピングモールの小さな楽器屋で一目惚れした15万のジャズマスターとともに、わたしのギター人生は幕を開けた。ろくに弾けもしないのに、毎日毎晩抱きしめて眠った。

 バンドを組んで、流行りのミュージシャンのコピーをする。放課後の教室、遠くに見えるビルに灯りが点き、静まり返った校舎の中、ジャズマスターは歌い始める。ドラムが、ベースが、キーボードが、重なって大きくなって、教室をお客さんのいないライブハウスに変える。聴いていられないような雑音で、高価なギターの良さなんて一つも引き出せなくても、無我夢中で楽譜を追い続けた。

 だんだん練習にも行けなくなり、また白い天井を見つめる日々がやってくる。気付かないふりをして、私はまたこの世界をループしていた。GからBmへのコードチェンジがスムーズにいくようになる前、バンドの面白みが分かるずっとずっと前に、私は高校に行かなくなった。

 母は勿論、わたしのためを思って言葉のナイフを投げつける。ぐさぐさ、ぽたぽた、またもや傷だらけになっていく。聞きたくない言葉から逃れるために、わたしはまた音楽を鳴らし始めた。部に入って間もない頃、バンドのバの字も知らないわたしに一人の先輩が教えてくれた曲。スマホに繋いだピンクのイヤホンを耳に挿して、深夜にこっそり再生ボタンを押す。

 その瞬間、

 何のひねりもない、ストレートな言葉が、耳に突き刺さって、まっすぐに私の心まで撃ち抜いた。


 あ、好きだ。

 夢みたいな、4分間。

 静かなイントロが終わった後の、ギターの音が、ベースの音が、ドラムの音が、わたしの鼓動が。全ての始まりで、わたしの体中を巡る血液のように、体中を音楽が染み渡っていった。

 その時だ。わたしが音楽で生きていこうと思ったのは。

 大学生になった。またもや軽音楽部に入った。ギターを背負って、自転車で坂を駆け上がる毎日。まだ全然上手になれない。怖い先輩がお酒を勧めてくるのにも、周りに煙草の吸殻が落ちているのにも慣れない。真面目が誉め言葉ではないことも、もうわかっている。

 でも、真面目でありたい。周りを否定するつもりはないし、それぞれの美学があって当たり前で、それでもわたしは、ただあなたを肯定する音楽を作って、あなたに届けたい。ただ拳をあげて、声を上げるあなたでいてほしい。そんなバンドマンでいたいのだ。


 今日もワイヤレスヘッドホンで聴いているのは、人生を変えたバンドのあの曲。最後まで聴き終えるのを待って、部室のドアを開ける。


 本当は作った曲なんて人に聞かせたこともないし、自分の好きを詰め込んでただメロディーをつけて歌ってみただけの誰にでも作れる歌ばかり歌っている。軽音部ではコピーバンドしか組んでいないし、楽譜があってもうまく弾けないことばかりだ。

 それでもわたしは一生、音楽と生きていくと決めている。


 その決意のために、わたしと音楽との半生を、このエッセイに書いた。

 音楽があったから越えられた夜があって、あのバンドがいたから見えた景色があって、わたしだから書ける詞があると信じている。

 だからわたしは音楽と、生きていく。

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