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シャンプー、石鹸を使わなくなって10年過ぎた。。当たり前を疑うことで得られるもの

タイトルのとおり、お風呂でシャンプー、リンス、ボディーソープ、石鹸などを使わなくなって10年以上が経ちます。

キッカケは、知人が実践しているのを聞いたことでした。

最初は、「えっ!?」と思いました。まだまだ頭の古かった私は、衛生面とか、体臭とか、少し心配になったのです。

それからしばらくして、有名人でもそういう人がいることを知りました。

タモリさんや福山雅治さんだったと思います。自分の言葉でその利点を記事に書かれていました。

それを機会に自分でもやってみて、やめる理由がないので、以来ずっと続けています。

利点は、なにしろ楽なことです。何種類もの洗剤を、付けて泡立てる手間も、濯ぐ手間もかかりません。髪や肌の状態を確認しながら、お湯と手やタオルでやさしく洗うだけで済ませます。

一方、支障があったことは皆無です。本人はともかく周りが迷惑しているのではと思うかもしれませんが、それはないと思います。

なぜなら、妻と年頃の娘たちがいて、彼女たちは普通にシャンプーなどを使う生活で匂いにも敏感な方ですが、指摘を受けたことは一度もないからです(やさしさから黙っているのではないことも確認済ですw)。


どうしてこれを記事にしようと思ったか、別に主義主張として脱シャンプー・石鹸を勧めたいわけではありません。

髪の長さや体質、生活条件など各々違うでしょうし、好きにすればいいんです。家族が使っていても別に何とも思いません。自分でも夏などに気が向けば使うこともありますし、自由なものです。

そうではなく、これに限らず、自分にとって本当は必要のないものを当たり前という思い込みから消費している物が多いなと思ったのです。商業主義にやられてるなと。

他に、私は、歯磨き粉も使いません。これは脱シャンプー等より以前からの習慣です。数年前から重曹水を使っていますが、コストはおそらく何百分の一と思いますが、歯と歯茎の状態がむしろとてもよくなりました。

また、以前記事にも書きましたが、素肌寝なのでパジャマも使っていません。その方が断然快適で、もうパジャマなんか着たら、窮屈で眠れません。

新聞もネットがあれば必要ないと思い、会社に勤めている時にやめましたし、パンデミック以降はむしろ新聞自体必要ないという思いに至りました。

あと、コンビニにもほとんど足が向きません。若い時は用がなくてもフラっと立ち寄るのが習慣化していたこともありますが、今は欲しい物が本当にないんです。たまにコーヒーか水を買うぐらいです。

食事は自炊が主なので、近所のスーパーで旬で安くなっている野菜を買ってきて、少し手間は掛かりますが丁寧に調理すると、とてもおいしくて十分以上に満足できます。むしろスーパーの方は、何かいい食材が安く売っていないか、店内を覗くのが楽しみです😃

ある時から自分で料理をするようになって食品添加物や油など健康面に目が向き、安く手軽な外食や中食、冷食、インスタント食品を避けるようになりました。

これら節約が主目的でしたことではありません。節約しようと無理をすると、しんどいのでおすすめしません。健康や心地のよい暮らしを求め、不要と感じる物を削ぎ落としたら、自然にそうなったということです。

とはいえ、食費は言うに及ばず、雑費の類も一つ一つは小さくても、まとめると結構な支出になります。結果として、生活にかかるコストが下がったのは確かです。

本質を見つめて生活すると、不要なものにかけるお金が減り、そのために必要な収入も減り、無理に稼ごうとすることでかかるストレスも減り、ストレス解消のための浪費も減り、生活にゆとりができるという好循環が生まれます。

そうして質がよく、お気に入りで長く使える物、自分を満たす物にお金を使うようにすれば、人生をより豊かにできると思うのです。

別の機会に書きたいことですが、資本主義は疑いなく私たちを消費の奴隷にしようという仕組みです。たまたまではなく、意図的にそれを仕掛けてきています。

これに乗っかるか否かは人それぞれ自由ですが、乗らないことで得られるものがあります。自分が得たものをこれからも書いていくので、よければお付き合いください。

お読みいただき、ありがとう😊

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