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黒の会手帖

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「同時代」の派生誌「黒の会手帖」に書いたエッセーを掲載します。母の話が中心です。
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母はこうしていなくなった

 二〇二〇年六月の終わり、母が死んだ。あと四カ月で八十歳だった。  五月十二日に大学病院…

井上志津
1年前
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竜国館の跡地を訪ねた

 「竜国館」という名前を初めて聞いたのは、母が末期がんで緩和ケア病棟に入っていたときのこ…

井上志津
11時間前

ケイコさんのこと

 北イタリアのアルプス山中にある町に、日本人の友人がかつて住んでいた。ケイコさんという名…

井上志津
5か月前
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取材中に泣いた話

 知り合いの映画宣伝の人に依頼され、樋口了一さんというシンガーソングライターを取材した。…

井上志津
7か月前
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タイの友人(そのニ)生まれ変わり

 タイの友人、カムトーンがこの五月、また日本にやって来た。  昨年の夏、私が夫と娘とタイ…

井上志津
10か月前
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母とツイッター

 スマホを使っていると、自分が検索したり閲覧したりした物をAI(人工知能)が認識し、勝手…

井上志津
1年前
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母の「がん友」

 母の「がん友」だったみどりさんが亡くなった。    母の最後の「がん友」だった。    「がん友」というのは字の通り、がん患者同士の友だちのこと。母の卵管がんが最初に見つかった二〇〇三年には、この言葉はまだなかったと思う。    当時、母が手術や抗がん剤治療を受けた大学病院の婦人科病棟はとても古くて、鉄の重たい扉を開けると、細く長く、薄暗い廊下が目の前に伸び、「もうここから二度と出られないのでは……」と不吉な気持ちにさせられるような場所だった。そんな病棟で母にできた友人は三

タイの友人

 タイに友人がいる。もともとは三十六年前、夫が一人旅をしていて、バンコクのバスの中で知り…

井上志津
1年前
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死ぬ前の音とは…

 一年ぐらい前、映画「アンタッチャブル」を家で一人で見ていたら、なぜか突然、母が死んだ瞬…

井上志津
1年前
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クスノキのある家

 あるとき、私の家でお茶を飲みながら、父が言った。  「ママが死んだら、東村山の家を売っ…

井上志津
1年前
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母に見てほしかったテレビ番組

 認知症にまつわるNHKのドキュメンタリーを二つ、続けて見た。  香川県の三豊市立西香川…

井上志津
1年前
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「ディア・ハンター」と父

 美容院などで雑談していると、「これまで見た映画の中で一番好きな作品は何ですか」と聞かれ…

井上志津
1年前
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母の総括 その三 竜国館の謎

 母が昨年六月、七十九歳で亡くなった。  母はがんが再発し、大学病院での約一年に及ぶ抗が…

井上志津
1年前
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パンデミックと母

 二〇二〇年三月十八日、大学病院に入院中の母のベッド横にいると、看護師が一枚の紙を持ってきた。「新型コロナウイルス感染症対策に係る『面会禁止』のお知らせ」と書いてあった。十九日より当面の間、面会は原則禁止、面会できるのは入退院時、病状説明時と手術日のみ、洗濯物などの受け渡しは一人かつ五分程度とします、という内容だった。  七十九歳の母は卵管がんが再発し、昨年三月から入院していた。初発は十七年前。再発は三度目で、今回は腹膜播種があるため、手術はできなかった。抗がん剤治療を行っ