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「子泣き爺」はいつから石化したのか

昔から有名な「子なきじじい」です。
いつも、あの妖怪の仲間にいるおじいさんです。

まず、子なきじじいとは。

本来は老人の姿だが、
夜道で赤ん坊のような産声を
あげるとされている。
一般には、泣いている子泣き爺を
見つけた通行人が憐れんで抱き上げると、
体重が次第に重くなり、
手放そうとしてもしがみついて離れず、
遂には命を奪ってしまうとされている。

これが、
アニメで鬼太郎の仲間で有名な
「子泣きじじい」です。

妖怪退治には、おっちょこちょいですが厳しくも頼もしい存在ですね。

では、その次第に重くなるとはどういうことなのか。


ある若者が一人で歩いておりました。

暗がりの街灯もない田舎道。
時間は夕暮れ時。

陽も落ちてあたりは薄暗く、
赤子(のような物体は)は
火がついたように泣いています。

辺りを見わたしても人気がなく、
赤子の親の姿も見受けられません。

農作業を終えた帰りでしょう、
若者は不憫に思ってこの赤子を
親の元へ帰してあげようと
抱えて背中へおぶります。

赤子は尚も泣き続けます。

赤子などおぶったこともない若者は、
泣き続ける赤子のために
子守唄を歌ったり、
しきりに話しかけたりしたことでしょう。

多分。

この
物事をうがった目で見るような卑屈さは微塵もありません。

これは現在社会でもよくあることです。
善意から、よく面倒なお客様の対応をさせられたり
よくわからない物事の対応、対処を背負わされたり
自ら背負ったり。

そこには、善意しかありません。
この先に起こる思いもよらない結末など
そこまでは一ミリも思っていません。
問題解決までの道のりの困難さとは別に。

さあ、話が本番に入っていきます。


赤子は初めは抱きかかえられるほどの重さでした。
なのでお振りました。

里では見たことのない赤子でしたが、きっと里まで行って
所帯を持った夕餉の支度途中のおかみさんの一人とでも
話ができたら、
きっと「〇〇さんとこの赤ん坊よ」と所在がわかって
そこまで連れていってあげられたら御の字だ、くらいのことでした。

ですが、そうやって里へ向かう道の間に
若者の身に異変が起き始めます。

おぎゃあおぎゃと泣いていた赤子の声は
どんなにあやしても小さくなる気配もありません。

加えて、なんだか重さが増してきます。

自分が疲れてきたんだろうと、
まさか赤子が石化しているなんて思いも寄らない。

それが段々と自分の命までも脅かして行くほどの圧力、重さが、
影響力を持っていきます。


そんなこと、ご自身の経験にもないでしょうか。

軽い気持ちで引き受けたことが
どんどん負荷が大きくなって
自分のキャパをオーバーして
でも、もう無理だということもできなくて
押しつぶされそうな重圧と
自分の葛藤とのせめぎ合い。

結局押し潰されるか最悪の事態を
招いてしまうような状況が。

こちらの逸話の原点は
『遠野物語』(とおのものがたり)
柳田国男が明治43年(1910年)に
発表した、岩手県遠野地方に伝わる逸話、
伝承などを記した説話集です。


何が悪いとか、どこでもっと早く
解決に向かえないのか、、、とか
そういうロジカルな説明のつく
世界ではないのが
この物語の特徴です。

しかしながら、この「子泣き爺」の
逸話はわかりやすいほうです。

「子泣き爺」はいつ石化しても、
はじめから赤子でもなかったかもしれません。
そして最後の最後まで気がつくことは
無かったかもしれません。

でもこの物語から得られる
教訓があるのだとしたら
選択肢はいつでも自分にあった。

その選択肢に取り込まれてしまう
可能性もあり得て、そしてそこから
どう決断していくのか。

一番大切なのは、

いつ決めるのか。

あなた自身の決断が、
子泣き爺になりませんように。


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