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始まりは終わりの始まり

今週も始まってしまった。月曜の朝に目覚めることが一週間で一番つらい。特別いやなことがあるわけでもないけれど、遠くに見えていた「やるべきことが積もっている山」をちらちら見ながら週末を過ごしていたのが、月曜の朝になると突然目の前にそびえているような、そんな感覚。登らなければならない、やらなければならない、逃げられない。

でも、始まりは終わりの始まり。始めなければ終わらないと言い聞かせつつ、週末のお花見を楽しみに、ゆっくりスタートを切る。

映画『ミナリ』を観た。

アメリカにやって来た韓国の移民家族の物語。タイトルの「ミナリ」は、韓国語で香味野菜のセリ(芹)を意味する。「たくましく地に根を張り、2度目の旬が最もおいしいことから、子供世代の幸せのために、親の世代が懸命に生きるという意味が込められている」とのこと。

ミナリという言葉の意味そのものを描いた作品だった。自然に翻弄されつつも家族を巻き添えに夢を追うジェイコブと、巻き添えはいやだ、子どもたちを守らなければという冷静な気持ちがありながら、ジェイコブをできるかぎり支えたいという葛藤に引き裂かれそうになる妻のモニカのやりとりが、なかなか切実でリアルで、ヒリヒリした。息子のデビッド(めちゃくちゃかわいい!)は心臓を患っていて、なにかあるんじゃないかとずっとハラハラさせられる。山姥のようなおばあちゃんが韓国からやってきて一緒に暮らすことになったら、その不安が倍増した。

ひよこの雄雌の仕分け(雄の運命)、一家のトレーラーハウスでのつつましい暮らし、容赦ない自然のなか成長する作物(韓国からやってきてアメリカで農業をするということ)、祈ることがすべてと疑わないポール。そのすべてが正解なのかどうか――登場人物全員が自分のいまに不安を感じているし、こちらも彼らが正しい選択をしているのかどうか、わからない。最後、突然何かが終わり、それによって何かが始まった。それは終わるべきものだったし、始まるべきことだった。

仕事でもプライベートでも、どうするべきなのかいつも迷うけれど、偶然や必然の力で矯正されるような瞬間が必ずある。良くも悪くも、なるようにしかならない。わかってはいても、そうやって素直に運命に身を任せてしまうことが、なぜかできない。身を任せる仕方がわからないというか。

目の前のことを自分なりに判断して進んでいくだけなのに、神様のいたずらみたいなことがあったり、つらい事態に行き着いたりする。でも、そのつらい事態でさえ、それでよかったと思えるようにもなったりする。

何をどう選択しても、本当は全部正解なのかもしれない。でも、なかなか正解だと思えないからつらい。

そういう自分の人生の不思議というかままならなさを、じっくり味わうような時間だった。

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