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幼なじみのこと

週末、ひさしぶりに幼なじみ3人で食事をした。一年ぶりくらいだったと思う。会えたことがうれしくて、さらに、コロナ禍がおさまりつつあること、お店もいい感じのところだったこともあり、調子にのってしまったかもしれない。帰ってきて、はしゃぎすぎたような気がしている。

幼なじみの一人は、この数年、会うたびに泣くようになっていた。仕事を休めないこと、職場との人間関係の難しさなどを話しているうちに、泣いてしまう。それがいつも心配だった。そして、ひさしぶりに会ったこの週末も、そうだった。

自分にもそんな時期があった。振り返ると、就職してからずっとそうだったかもしれない。食べることも飲むことも好きだし、体に異常はなかったとは思うけれど、親しい人と休日に会うと、やっぱりあんなふうに泣いてしまうことがあった。家族の前では突然泣くこともあった。

元凶はすべて会社と、そこにうまく適応できなかった自分にあったと思う。そんなときに、周りの友人はいろいろアドバイスしてくれた。「やめたほうがいい」とも言われたし、実際に「辞めます」と上司に言ったことも一度あった。「うちに来ないか」と言ってくれる先輩もいた。

でも、実現できなかった。こんなことは長くは続かないと、きっとどこかで思っていたし(実際はけっこう長かったのけど)、会社にはすでに変な「情」みたいなものもあったし、よそで通用するような人間だとも思えなかったし、辞めるのだってエネルギーがいるから「そんなことできるんならとっくに辞めてるわ」という感じだったと思う。つまりは、それらの助言はほとんど耳に入ってこなかった。全部が他人事に聞こえていたんだと思う。実際、彼らにしてみれば他人事だし、誰も悪くはないのだけど。

コロナ禍に入ると同時に会社がぽしゃって、地元に帰ってきて家族とふたたび暮らすことにして、個人事業主になってからは、そういうことはほとんどなくなった。もちろん、コロナと一緒に人生最大の嵐に巻き込まれてしばらくは、心が不安定な時もあった。貧血がひどくて、意味もなく悲しいと泣き暮らす時期もあった。でも、どんなときでも、家族は時々突然泣き出すめんどくさい私をほうっておいてくれた。母も妹も、実際に他人(私)の悲しみや辛みなんてどうこうできやしないと知っていたからだと思う。こういう姿勢って、一見冷たいようだけど、すごくありがたいなと今となっては思う。

それなのに、この週末に、その彼女に思い切りいろいろと「ああしたらいい」「こうしたらいい」と偉そうなことを言ってしまった。何も響いていないなと話しながら感じていたけど、あたりまえだ。あのときの私みたいに「所詮、他人事だと思ってるんでしょ」と彼女も思ったに違いない。

何かしてあげたいのに何もしてあげられないのは辛いけど、いまこの件で私が辛がることなんてどうだってよくて、役になんか立てないのに、どこまでも役立とうとしている自分がいやしいなと、つくづく嫌になってしまった。
自分の言いたいことは一旦置いておいて、ただそっと一緒にいる、彼女の言いたいことにじっくり耳を傾ける。そんなあたりまえのこともできなかった自分がひたすら情けない。

彼女の思わしくない状況が長く続きませんように。また“普通に”会えますように。

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