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【私の感傷的百物語】第二十六話 夜桜

夜桜は美しいものです。この美しい花が咲き誇った樹の下を歩くのは、春における至上のよろこびと言っても良いでしょう。思えば、花見の宴会にしても、観光地の並木にしても、日本において眺めるだけでこれほど多くの人の心を動かす花というのは、桜の他に見当たりません。

その一方で、桜には絶えず「死」の影が暗い闇を落としています。いえ、むしろその影があるからこそ、桜の美しさは際立つのでしょう。梶井基次郎は「桜の下には死体が埋まっている」と感じ、坂口安吾は桜の下で山賊に女を絞め殺させました。

ただ個人的に思う死の影は、前述の両者よりももっと消極的というか、花を通して微かに伝わってくる気配のようなものです。咲いた端から散ってゆく、そのどちらも美しいのです。これはどちらかが欠けてもいけません。生の光と死の影、出会いと別れの隣り合わせです。その境界に立って宴に興じる我々。この構図こそ、古から続いてきた、歴史の中のかなしくも美しい人の姿なのではないでしょうか。したがって、墓所の桜で花見が行われることも、我々にとってはまったく不自然なことではないのです。

僕自身の桜に対する感想はこのくらいにしまして、桜にまつわる思い出話をご紹介しましょう。僕が桜を見るのが最も好きな場所は、静岡県清水区にある、とある公園です。山と池の自然環境を活用したこの公園は、敷地も広く、アスレチックや天文台、茶室なども有しています。僕は清水に住んでいた学生時代の春、公園にある池で鯉を釣りながら、桜を眺めるのがとても好きでした。

ここではシーズン中、夜になると桜のライトアップもされていました。僕はあまりネオンとかライトアップといった類の趣向に関心がなかったのですが、桜においては、その他の風景を夜の闇に溶け込ませ、花だけをじっくり眺めることができるので、とても魅力的に感じました。

一度、後輩や友人の怪奇マニアSDK君と、この公園内で夜の花見をしたことがあります。ドッと歌い騒ぐようなことはなく、花を眺めながら、ぽつぽつと今後の予定などを語らい、夜の寒さを追い払うように、しみじみと酒を飲むといったものでした。お酒と会話がひと段落すると、みんなで公園を一周してみようということになりました。ちょっとしたハイキングコースになっている公園の道を歩いていくのですが、桜がライトアップされている場所以外は、寂しい明かりの街灯が申し訳程度に立っているだけです。草の擦れる音や水路の水音を聞きながら、暗がりの遊歩道を歩くのは怖くもあり、またどこか心地良くもありました。

公園内は広くて暗がりも多いためか、自殺の現場にもなっているそうで、僕とSDK君の知人が、目撃者になったという話も聞きました。また、SDK君によると、以前インターネット掲示板に、リアルタイムで投稿をしつつ夜間徘徊をしていた人物が、公園の面する山の上で行方不明になり、捜索願が出されたといいます。

僕がこの公園で桜を、それも夜桜を眺めるのが好きなのは、自分の傍らに死者がいて、一緒に花を眺めながら、お互いの心の傷を慰め合っているような気持ちがするからではないか、などと考えています。消極的な死のイメージが漂う桜を取り巻く、直接的な死の印象を内包する夜の公園の雰囲気。あの空気を味わいたくて、生者の陽気を持ち合わせながら、僕はあの公園へ、ふたたび夜桜見物にいってみたいなと思っています。

昼間は桜を眺めながらコイ釣りも楽しめる清水区の公園。僕はこの場所が大好きだ。

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