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【~連載~静岡の歴史を学ぼう148】Lord Tokugawa Ieyasu in Sumpu from 1585 to 1590           1585年から1590年にかけての駿府における家康公

※ この記事は「静岡移住計画Facebook」に掲載しております。

駿府城公園で見られる駿府城天守台跡は二つ。戦国時代末期の天正期そして江戸時代初期の慶長期に造られた天守台の跡です。今回は天正期の歴史的背景についてお伝えします。

壮年期の家康公像  JR静岡駅前
今回はこの時代の話です。



Lord Tokugawa Ieyasu in Sumpu from 1585 to 1590

1585年から1590年にかけての駿府における家康公


After the Battle of Komaki and Nagakute in 1584, Lord Tokugawa Ieyasu reluctantly buried the hatchet with Toyotomi Hideyoshi.

1584年の小牧長久手の戦い後、徳川家康公は仕方なく豊臣秀吉と講和を結びました。

豊臣秀吉肖像


Lord Ieyasu unwillingly agreed to become Hideyoshi’s vassal.

家康公はしぶしぶ秀吉の家臣となることに同意しました。

Lord Ieyasu moved to Sumpu and started building Sumpu Castle.

家康公は駿府に移り、駿府城を築くことを始めました。

Today, the Sumpu Castle Park has an excavation site, where two historical ruins can readily be observed .

今日、駿府城には発掘現場があり、そこでは駿府城の二つの歴史的遺構をすぐに見ることが出来ます。

One of two ruins is from Tensho period’s donjon.

二つの遺構の一つは天正期の天守台です。

駿府城の発掘現場には二つの天守台跡が存在しています。

The castle was built by Tokugawa Ieyasu under the order of Toyotomi Hideyoshi from 1585 to 1588.

その城は豊臣秀吉の命令の下、1585年から1588年にかけて徳川家康により建築されました。

天正期の天守台石垣

駿府城発掘現場 天正期の天守台石垣

駿府城発掘現場の模型で確認するとこうなります。
赤い部分に立つと、天守台跡を見渡すことが出来ます。
その場所はこの記事の最後で!

Toyotomi Hideyoshi visited Sumpu Castle when he went to Odawara to attack the Hojo clan in 1590.

豊臣秀吉は、1590年に北条家を攻撃するため小田原に行く時、駿府城を訪れました。

The powerful daimyo Hojo clan in Odawara was defeated by Toyotomi Hideyoshi and the prestigious family was in ruins after the attack of Toyotomi Hideyoshi.

その名門の大名、小田原の北条家は豊臣秀吉によって倒され、その名家は攻撃の後、絶滅しました。

小田原城

Hojo clan’s vast territory in Kanto region was captured by Toyotomi Hideyoshi.

関東地方の北条家の広大な領土は豊臣秀吉が手中に収めました。

He decided that Tokugawa Ieyasu should transfer to Kanto region.

彼は徳川家康を関東地方に移転させるべきだと決めました。

Hideyoshi’s aim was to place Ieyasu further away from Sumpu.

秀吉の狙いは家康を駿府よりさらに遠くに配置することでした。

When Lord Ieyasu moved to Edo in August 1590, Nakamura Takauji was assigned as the governor of the Sumpu Castle.

徳川家康公が1590年8月に江戸に移った時、中村一氏(かずうじ)が駿府城の城主として任命されました。

Nakamura Takauji was a very loyal servant to Toyotomi Hideyoshi.

中村一氏は豊臣秀吉に大変忠誠心を持った臣下でした。

Nakamura Yakauji’s graveyard is also located in the Rinzaiji Temple, which was under the care of the Tokugawa family.

中村一氏の墓地も、徳川家が保護していた臨済寺にあります。

中村一氏之墓 臨済寺にて(静岡市葵区大岩)

(参考文献)見て歩いてなるほど! 「駿府城」まるわかり

ちょうど、家康公像の後ろになります。ここに立つと、天正期の天守台跡が見渡せます!


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