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アメリカでドリームジョブを掴むには。

今日、University of San Franciscoを卒業しました。
与えられた学位は ”Master of Science in Sport Management”、スポーツマネジメント修士号です。

一言で言えば大成功な2年間でした。
在学中からNBA球団の正社員になることができるなんて、これ以上うまくいくシナリオは私の脳みそでは思いつかないです。

なぜ上手く行ったのか、”運”が良かったからだと思います。
自分自身と自分よりも余程優秀な同級生たちの2年間を見比べてみて、特に自分のようなキャリアの浅い人間にとっては、チャンスを得れるかどうかは運にかかっているんだなと強く思いました。
このnoteではそんな話をしたいと思います。

私が大学院に所属していた2年間でありがたいことに2つの職場を経験させてもらいました。
MLBのOakland Athleticsと現職のNBAのGolden State Warriorsです。

A'sではVideo Production Assistantとして働かせていただきました。

2つの仕事を得た経緯として共通していることがあります。
それは求人が出る前からたまたま採用責任者(部門のトップ)と知り合っていて、自分のストーリーと自分がやりたい仕事についてカタコトの英語で必死に伝えてあったことです。

大学院に入学してから最初の2ヶ月の授業は端的に言うと「自分が進みたい道を見つけ、それに至る方法を導き出す授業」でした。
その授業の課題の一つに、興味のある分野で働く業界人にインタビューをするというものがありました。
「リサーチの名目で業界人と繋がりアドバイスを受けることができる」
これは学生であることの圧倒的なメリットです。
私はこのリサーチを名目に本当に多くの方々にインタビューをさせていただきました。

そして、このインタビューをお願いするときに大学の力が発揮されます。
現地の業界人にとって、私は英語がカタコトの日本人です。
普通ならインタビューを受ける理由なんてないんです。

でも私が在籍する大学の卒業生なら、在校生の私のインタビューを快く受けてくれるんです。卒業生のネットワークの強さは授業以上にその大学の価値なんだなと学びました。

そしてそのインタビューの機会に最大限の準備をして臨み、インタビュー後もキャッチアップを続けることで運を待つ体制が整います。

私の場合、自分が望む求人のチャンスが巡ってきました。
その求人を見たときはガッツポーズでした。
これが巡ってくるかに関しては運でしかないです。
運が巡ってこなかった同級生も多く見てきました。
でも運が巡ってきたときにそれをものにする確率を上げるアクションは自ら起こせるんです。

23-24シーズン開幕戦の日にUSF出身のウォリアーズの社員で撮った写真です。

私が渡米した当時、世界はパンデミックの真っ最中、アメリカでは1日約100万人の新規感染者がいて、大学院はオンライン授業でのスタートでした。

なぜそんなタイミングで賭けに出たのでしょうか。
少し様子を見るのが賢い選択だったかもしれません。

さあ賭けに出た結果なにが起きたのか。
大学院入学2ヶ月後にNBA Japan Gamesの開催とウォリアーズの来日が決定し、入学半年後にウォリアーズのインターンになり、その翌月に正社員となり、その翌月にNBA Japan Gamesでチームに帯同して日本に帰国するという夢のようなことが起こりました。

結果論ですが、あのタイミングじゃなきゃダメだったんです。
これは運以外に説明がつかないです。

さらにその一連の働きを評価していただき、今年6月にニューヨークで開催されたスポーツマーケティング系のアワードのHashtag Sports Awardsで2つの賞を受賞するなんていうまた夢のようなことも起こりました。

でもその授賞式では、司会を務めていた元NBA選手のRichard Jefferson から振られた話にテンパって何も答えられず、上司が代わりに答えてくれました。恥ずかしい思いもたくさんした2年間でした。

とりあえず蝶ネクタイを褒めてくれました。

この2年間、英語力でたくさん惨めな思いをしました。
カタコトの英語を口に出していると、話し途中で話をやめたくなる。
うまく発音ができない、それによって噛みまくる。
必死に自分の話を聞いてくれようとする本当にありがたい人たちが少し不安そうに自分の英語を聞くのを見るのがすごく申し訳ない。
自分に興味がない人はすごくわかりやすいんです。
まず目が一切合わないし、私に話をする気も聞く気もないんです。

Richard Jeffersonとのトークを盛り上げられなかった自分に落ち込んでいる間に自分の賞とスピーチの順番が訪れました。
用意しておいた台本の通り、インターンシップ当初の苦労話をしました。会議が聞き取れなくて大変だった、いつも同僚やインターン同期が助けてくれた、日本で当たり前にできていたことができずいつも悔しい思いをしていたとアクセントのある英語で話しました。
スピーチが終わり、驚くほどの拍手をもらいました。同席した同僚が泣いて喜んでくれました。
自分の変な英語で泣いて喜んでくれる人がいるなら、恥なんていくらかいても良いかなと思いました。

頑張ると良いこともあります。

すべては根気よく私に付き合ってくれる同僚のおかげです。

そんなこんなで私の私なりの激動の大学院生活は終わりを迎えました。

結論ですが、運を掴むには好きなことをやるしかないと思っています。

自分が好きで情熱を持って取り組めることだから、勇気がない私でも惨めな気持ちに負けずにインタビューをし続けることができました。

どうしても成し遂げたいことがあったから、成功する保証がなくても運に賭けてみようと思えました。

「スポーツだから」頑張れました。

ちょっとの勇気と強運によって、私の人生は2年で大きく変わりました。

私は本当に運が良かったです。
そして、何の確証もない運に賭ける選択をした22歳の自分にありがとうと伝えたいです。

児玉昇太

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