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思惑という名の不自由

何かをしようとする時、無意識に想像してしまう。
「ん〜、これがそうなると、あれがこうなって、で、あ〜、こんな感じになるかな。」
世間的に言えば、これが出来る人って重宝されるかも知れないが、本当にそうだろうか。

無意識に想像する内容は、たいてい自分の経験からのもの。
例えば過去に、似たような出来事があって失敗して、え〜んらい大変な思いをしたとか、どう対処していいか分からないことがあって、めっちゃ困って、すんごい考えて回避したとか。
マイナス要因をプラスに転換出来た時のアイデアが多いだろう。
マイナスをプラスに変えた時のレア度って、とても高い。
自分の経験にしっかり刻まれてしまう。
逆にすんなり上手くいったり、悩まずクリア出来たりの、ちょいプラスの出来事は忘れてしまう。
「マジか。ラッキ〜!」
くらいの軽いアゲにしかならず、直ぐに忘れる。
本当はそっちを覚えてた方がいいのに。

危機体験が多ければ多いほど、先々を想像してしまう”力”のようなモノが身につくかも。
時に、誰かの役に立つことはあるかも知れないが、自分自身の事となると、コイツが厄介で仕方ない。

自分の経験から成る、この”力”みたいなモノは、とても速い。
瞬時に脳内を駆け巡る。
音で表現すると
「ブロロロロロロロロロロロロ〜!!」
最初の「ろ」の音は巻き舌だ。

で、あっという間に事後が想像できてしまう。
「この出来事はこうなるだろう。」
と、起きてもいない事を結論づけてしまう。
本当に、その通りになるかも分からないのに。

で、この結論をもって、行動するか否かを決める。

この方法でずっと生き続けると、偏った自分だけの判断力に拍車がかかり、客観性が失われる。
周囲の全てに対して、気を回し過ぎて不自然な行動になり、よかれと思ってしたことが、結局は仇になってしまうとか。

”やってみないと分からない”という、未知の自分との出会いの場を、自分で削ぎ落としたり。

本来は自由である自分の思考を、自分自身で不自由にしていく”経験”という名の思惑。

これから始めようとすることに、自分の思惑を置くな。
先を想像するな、
筋書きを作るな、
期待をするな、
上手くいくことに焦点を定めるな、
なるがままに、その時々に感じる思いに向き合って下さい、自分。

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