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「私の負担が増えるから」部活動地域移行反対という暴論


部活動の地域移行

全国的に部活動の地域移行が段階的にではありますが進んでいます。

2025年までとされていたタイムスケジュールは延期になるなど、文科省の弱腰な姿勢が気になりますが、この流れ自体は進む方向のままで間違いないようです。

こうした部活動の地域移行の背景には教員の働き方改革が根本的な問題として存在します。

部活動の実施時間は主に放課後、これは教員の勤務時間外です。対外試合などを休日に実施する場合、その引率も教員の仕事になりますが、これも「休日」に実施されています。

一方で公立学校の教員には「残業」や「時間外」という概念は存在しません。

給特法によって定められた特別な状況以外は残業をしない、というのが前提にあるからです。

そのため多くの教員が無賃労働を強いられてきた歴史があり、それを是正するための措置の一つが部活動の地域移行なのです。

ベネッセの調査

教育産業で有名なベネッセコーポレーションは部活動に関して保護者などにその賛否などに関して調査をしている記事があがっていました。

この記事の中で部活動の地域移行に関してのメリット、デメリットやそれに対する保護者の意見などがまとめられています。

この記事の視点は見出しからも明らかなように旧来の部活動のシステムを支持する保護者の意見に寄せたもので、地域移行のデメリットを強調させる意図があるようです。

特にデメリットに関しては以下の4つに分けて詳細に書いてあります。

  1. 地域の受け皿の問題

  2. 子どもたちの居場所が減る

  3. 保護者のかたの負担増

  4. 指導の過熱化

このデメリットを上げて、地域移行に疑問を呈しながら保護者に寄り添う形の記事構成は意図的なものを感じます。

地域移行の本丸は教員の働き方改革

そもそも部活動地域移行の問題の本丸が教員の働き方改革です。

教員への負担、特に違法な労働環境を是正するためには部活動の廃止が本来は止む無しなのです。

とはいえ、部活動がはたしてきた役割などを考慮して、現状と同じ環境や待遇が維持はできずとも、その長所をなるべく生かすための代替手段として地域移行論が持ち上がったのです。

記事内には地域移行反対の保護者の意見がいくつか載っていますが、その多くは自分の負担が増えて困る、というものです。

しかし、そもそも無料で子供を預け、スポーツの指導をしてもらっていたこと自体が異常な状況であり、他人の好意にフリーライドしていただけなのです。

「子供のため」を錦の御旗に掲げる卑怯さ

結局のところこうした記事や反対意見の多くは「子供のため」を錦の御旗に掲げ既得権を手放したくないだけのわがままに過ぎません。

自分の子供の教育、スポーツや文化活動に関して力を入れたければ保護者がお金と時間を使うべきです。

それが出来ないのであればその活動をするべきではありません。

バイオリンやピアノ、習字やそろばんなどは以前から正当な対価を支払って子供に習わせる習慣が定着していました。

どうして野球やサッカー、吹奏楽は指導料や施設利用料が無料で習うことができるのでしょうか。

これまで無料であったことが特例として免除されていただけであり、それが正当な対価や負担を求められるようになっただけなのです。
(この辺りはインボイスの議論と類似性が高いかもしれません)

地域格差の問題

こうした主張に対して、では地域格差はどうなのだ、という反論があります。

都心部や新興住宅地の場合は地域移行先が多いが、過疎部の場合は部活動の種類が限られたり、遠方への送迎など不公平ではないか、というものです。

しかし、これもおかしな議論で過疎部における教育機会の損失は受け入れざるを得ないデメリットの一つです。

実際、生徒の平均学力や学習塾や進学校の数などこれまでも多くのデメリットが存在していました。しかしそれを受け入れてその土地に住んでいたはずなのです。

どうして部活動だけは別になると考えるのでしょうか。人が少ない地域においてコスト的な負担が増加するのは必然であり、それを承知の上でその土地に住んでいるはずです。

現代は職業や転居の自由が認められています。不満があるならば都市部に転居すべきではないでしょうか。

人口減少の中で地方の隅々までこれまでと同じサービスが享受できる環境を維持することは不可能です。コンパクトシティ化に合わせる形でサービスが集約されることは時代の必然でしょう。

親としての視点

私自身、学校教員として働いているとともに、一人の子供の保護者としての立場を持っています。

そこで考えることは、子供に教育を受けさせたいのであれば親自身がコスト(金銭、時間)を支払うしかない、ということです。

これまでは高度経済成長からその名残によって、社会が負担することで子供の教育が成り立っていました。

しかし、高齢化、縮小傾向にある社会においてはそうした社会負担は不可能となっています。

もちろん学校の正課の授業など、最低限の教育レベルは維持する必要があるのは間違いありません。

ただ、それを超える付加価値を教育に求めるのならば自己負担の原則を受け入れるしかないのではないでしょうか。

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