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首相へ手紙を送った小学生、およびその報道に関わる問題の三つの間違い

小学生6年生が岸田総理に「なぜ防衛費を上げるのですか?」という手紙を送ったことがニュースになっていました。

この件に関して、私は関係者が三つの間違いを犯した、と読み取っています。

今回はそれをまとめていきたいと思います。

教員の間違い

防衛費の増額は極東情勢が不安定になる中で、日本が置かれた状況を見れば不可避であることは自明です。
(極左集団に分類される一部の教員クラスターは謎のバリアが守ってくれると勘違いしていますが。彼らが政治活動よりも労働環境改善にエネルギーを振っていれば現在の教員不足もここまでひどくならなかったでしょうに…)

日本が戦後四半世紀にわたって平和を保つことが出来たのは、周辺諸国よりも優れた軍事力、特に海上航空力が優れていたためです。

そのために海に囲まれた日本を直接的な侵略を受けることがなかったのです。

ところが近年はそうした軍事バランスが傾きつつあり、それが極東情勢の不安定化につながっています。

ここまでは主義主張の問題ではなく事実です。

このような事実から目を背け、自分の所属するカルト団体の教義を道徳や社会の皮を被せて子供に布教活動する。あまつさえ洗脳した子供たちの名を使ってイデオロギーの主張を行うことはいくら私学とはいえ、公共性の高い教員の仕事としては大きな間違いではないでしょうか。

子供たちの間違い

手紙を出す行為自体は個々人に異論が有れども子供自身に責任は無いでしょう。

しかし、記事中にある以下のコメントはいささか思慮が浅すぎるように感じます。

 児童らは中学生になった。今、どう思っているのか。女子生徒の一人は言う。
「岸田さん個人の思いを直接聞きたかったです。反対の声もたくさん出たはずなのに防衛費を上げることは本当に国民のためになるのかな」
別の女子生徒はこう話した。
「日本はかつて起こした戦争でたくさんの人が亡くなり、多くの人がつらい思いをしました。防衛費を上げることは戦争につながるような気がします。沖縄戦をはじめ、日本が関わってきた戦争のことが過去のことになってしまうことが嫌です。まだ、お返事を待っています」

現職の総理大臣は分刻みでのスケジュールで激務をこなしており、それは新聞紙上などの首相動静欄にも全て書いてあります。

そうではなくても、日本のトップが一小学生の手紙に時間を使っていたら仕事になるわけがありませんし、公平性の観点からも特定の手紙にのみ返信をするというのは批判を受けることになるでしょう。

中学生にもなって現職の総理大臣が小学生の手紙に直接コメントをしたり、返事を書いてくれるというお花畑的な感覚であるというのは大きな間違いではないでしょうか。

毎日新聞を中心とした報道各社の間違い

こうした小学生の手紙に関して、追加で報道各社がコメントを求めたようです。

岸田首相は2月24日の記者会見後、報道各社が追加で示した質問への回答で、手紙について言及した。

まともな大人ならば、こうした小学生とそれを扇動した教育系活動家の行動に対しての対応を現職の総理大臣に尋ねるなどというバカげた行いは控えるべきだと理性が止めるでしょう。

これは社として、記者として大きな間違いではないでしょうか。

しかし、報道各社(どの社かは不明ですが)の中にはそうしたブレーキが全くかからない幼稚な判断力しかない人間が取材を行っているようです。

さらに呆れるのは毎日新聞の記事の以下の一文です。

米大統領だったバラク・オバマ氏は毎週6万5000通の手紙を受け取っていた。政策に批判的な内容であったとしても、毎日10通の返事を出していたと英BBCが報じている。

毎日10通の手紙を本人が読み、開封した上で返信したとでも思っているのでしょうか。

秘書官などが内容を確認し、話題なったり支持率につながりそうなものをピックアップしてスタッフが返信している様子が目に浮かぶようです。
(実際にはわかりませんが、本人が6万5000通に目を通し、70通返信したと考えるのはあまりにも「うぶ」でしょう)

この一文を書いてしまうところに、近年の新聞記者の質の低下(果たして近年からであったかどうかは微妙ですが)を感じます。

防衛費増額の是非とは異なる問題

もちろん防衛費の増額を無条件で受け入れるべき、という主張を私はしたいわけではありません。

増額した中身を精査すべきですし、実効性のある増額なのか、あるいはこれによって他の予算を圧迫して国民生活の不必要な負担になっていないか批判的に見ることも必要です。

かつては山田洋行事件のように過大な請求を受けていたこともあり、その点に関してはきっちりと監査体制も求められるでしょう。

一方で、歴史を見れば明らかなように、完全平和主義、無抵抗主義で平和を実現した民族や国家は存在しません。
(よくこの手の例に挙げられるコスタリカですが、軍隊を持たない代わりにそれなりの装備を持った治安警察と沿岸警備隊を常設し、非常時には徴兵令が規定されています)

軍事力の低下によって国土を蹂躙され、場合によっては滅亡した国家の例は枚挙に暇がありません。

そういった厳しい現実を議論の前提条件とするための教育を行った上でなければ、防衛費の増額という極めてイデオロジカルな話題を授業に組み込んでも、安っぽいヒューマニズムと口先だけの平和主義礼賛で終わってしまうでしょう。

正直なところ、今回の一連の流れは防衛費増額に対するリベラル系教育関係者と左派マスコミのしかけたマッチポンプ的な子芝居のにおいがプンプンしており、それが子供たちの行動に色を付けているようにしか見えないのです。

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