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算数の「かけ算の順番」に関する私見

「かけ算の順番」に関しては社会的に度々問題になります。新聞の投書欄で話題になったのを見かけたこともあります。

また、TwitterなどのSNSでも定期的に議論の対象になるようです。

具体的な問題:指導要領より

「1皿に5個ずつ入ったみかんの4皿分の個数」についてを考えます。

この問題に対し

$$
\begin{align*}
5 \times 4 =20
\end{align*}
$$

を絶対的な正義と見るのが「順序有り」の人たちです。

一方で

$$
\begin{align*}
4 \times 5 =20
\end{align*}
$$

これも正解とみなすのが「順序無し」の人たちです。

「順序有り」の根拠

順序有りの根拠は学習指導要領解説です。

「10 × 4は、10が四つあることから、40になる」とい記述を根拠にすると、確かに 4 × 10 は4が十個あることになり、矛盾することになります。

また、試験における「単純に問題文の数字をかけ合わせた」解答者を排除するという理由で「順序有り」を採用するという理由もあるようです。

「順序無し」の根拠

これは非常に単純で、自然数の乗法には交換法則が成り立つという極めて自然な理由です。

この理由をもとに「順序有り」派に批判を行う数学関係者が最も多いようです。

また、解釈的に「4枚の皿に1皿につきみかんを5個ずつ載せていく」と考えること同値になるとする人もいるようです。

ただ、こちらは「順序無し」派と同じ土俵に立っている、という批判もあるようです。

「有り」派と「無し」派の対立

実際、「数学」関係者のほとんどは「順序無し」派のようです。逆に「算数」や初等教育関係者の多くは「順序有り」に軸足を置いて議論する人が多いように見えます。

「順序無し」派からすれば「順序有り」派は学問的な厳密性を無視して、初等教育段階において便宜的に嘘を教えているという認識があります。

一方、「順序有り」派からすれば、「順序無し」派は教育現場、特に小学校教育の実情も理解せずに机上の空論を述べているように見えているでしょう。

「数式」が抽象概念であるという認識

この二派の対立の根本的な部分には「数式」に関する捉え方違いではないかと考えています。

「有り」派は「数式」として表現した場合にも、その " 4 " や " 5 " みかんや皿といった概念的意味が存在すると認識しています。

そのため、数式内の数値に対し、これはみかん、これは皿、の様に意味を与えていきます。

さらに、数式内の順番を時間的概念や時系列として認識しています。そのため、順番入れ替えに対してとても敏感なのです。

方や、「無し」派は「数式」は考えていた内容から、可能な限り具体を排除し捨象し、抽象化した普遍的な記号と考えています。

当然ながら、時間的概念を捨象しているため、その順番において意識すべきことは交換可能かどうか、という一点のみとなります。

圧倒的に正しい「無し」派、しかし…

結局の所、圧倒的に「無し」派が正しいことは明確です。数学という枠組みの学問においては自明の真理です。

「有り」派が数学という学問の論理体系に無茶なローカルルールを作ろうとしていることは事実です。

「算数」という世界に区切って、という条件を加える人もいます。しかし、論理や数字の世界において、数学と算数を分ける線など存在しません。

しかし、同時に「無し」派がその正しさを押し付けるだけでは解決をしない対立でもあります。

初等教育上の配慮を考えつつ、統一的なルールに従う道を考える必要があるようです。

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